元総合商社駐在員・中川十郎氏の履歴書(15)通産省貿易課長・豊島格氏との不思議なご縁
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日本ビジネスインテリジェンス協会会長・中川十郎氏
豊島氏と、思わぬ場所で再会
当時の通商産業大臣の河本敏夫氏―行が、リオデジャネイロに立ち寄られることになった。コパカバーナのホテルで歓迎パーティが開催されるため、在リオデジャネイロ日本企業代表は夫婦同伴で参加するよう、リオデジャネイロ総領事館からの案内があった。
ニチメン本社の海外業務部・経済協力課長から、「このミッションに参加される通商産業省貿易課課長の豊島格氏には、日ごろから格別の協力をいただいているため、精一杯アテンドせよ」という指示を受けた。パーティが終わった後、豊島氏をリオデジャネイロの有名クラブに案内した。豊島氏のお父上は筆者と同じ鹿児島出身ということで、話が弾んだ。
その後、パナマ、カナダ長期出張、ニューヨーク駐在を経たのちに、筆者は大学教師に転身した。JETRO(日本貿易振興機構)が、米国との貿易不均衡是正のために輸入拡大を目指し、貿易アドバイザー試験を行うという。筆者は、「貿易論を担当している大学教師としての自分の実力を試すために絶好の機会だ」と考えて受験した。妻は、「大学教授をしている筆者が試験に落ちると、親兄弟や学生に恥ずかしい」と受験に反対した。しかし自信があったので、妻の言葉を無視して受験した。
貿易商社の元社長や中小企業の社長、役員なども受験していた。800人の受験者のうち合格者は100人であったが、幸いにして筆者も合格し、貿易論を担当する大学教師としての面子を保つことができた。面接官だった同僚の大学教授らから、「道場破りだ」「面接はお手柔らかに」とからかわれたものだ。
JETRO理事長から合格証書を手渡されるということで、本部に招待された。そのとき、合格証を手渡していただいた理事長は、かつて通商産業省貿易課課長であった時にリオデジャネイロで面談したことのある豊島氏であった。お互いに不思議な縁に驚いたものだ。
リオデジャネイロ以来の長年の交流
豊島理事長には、1992年に「日本ビジネスインテリジェンス協会」(BIS)を創設するにあたり、名誉顧間としてご協力いただいた。その後も、石油などのエネルギー情報の専門家のご紹介や、「ビジネスインテリジェンス国際情報会議」の東京開催でご支援いただいた。また、筆者の東京経済大学教授の退官記念の最終講義にご参加いただき、その後に懇親会では参加者を代表してご挨拶をいただき、とても感激した。豊島氏はJETRO退任後、アジア貿易研究所理事長に就任された。同研究所での講演の機会をいただき、同研究所の月刊誌に情報論や国際マーケティング論の論文をたびたび寄稿した。
オリンパス・特別委員に、ノーベル賞を受賞したコロンビア大学経済学者のロバート・マンデル氏、豊島氏が、筆者とともに任命されたときは、リオデジャネイロ以来のご縁に感謝した。長野、会津、中国・シンセンにあるオリンパスエ場の見学もご一緒した。後日、マンデル教授が豊島氏の義兄にあたる小泉首相と面談する際も、豊島氏にご手配いただいた。豊島氏には会うたびに、「かつてリオデジャネイロのクラブに接待いただき、お世話になった」とお礼をいわれるのが常で、恐縮していたことを思い出す。
豊島氏はある日、住居の近くにもっていたマンションにあった書斎を処分するからと、立派な本棚と古今の名著を寄贈いただいた。今も我が家の日本間に大切に保管しているこの本棚と書籍を眺めるたびに、豊島氏とのリオデジャネイロ以来の長年の交流を思い出に浸っている。
(つづく)
<プロフィール>
中川 十郎(なかがわ・ じゅうろう)
鹿児島ラサール高等学校卒。東京外国語大学イタリア学科・国際関係専修課程卒業後、ニチメン(現:双日)入社。海外駐在20年。業務本部米州部長補佐、米国ニチメン・ニューヨーク開発担当副社長、愛知学院大学商学部教授、東京経済大学経営学部教授、同大学院教授、国際貿易、ビジネスコミュニケーション論、グローバルマーケティング研究。2006年4月より日本大学国際関係学部講師(国際マーケティング論、国際経営論入門、経営学原論)、2007年4月より日本大学大学院グローバルビジネス研究科講師(競争と情報、テクノロジーインテリジェンス)関連キーワード
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