2024年12月23日( 月 )

【縄文道通信第48号】「今なぜ縄文道なのか」―縄文道 ユートピア論―縄文道――武士道――未来道―今も息づき未来に活かせる(中)

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(一社)縄文道研究所

 NetIB-Newsでは、(一社)縄文道研究所の「縄文道通信」を掲載していく。
 今回は第48号の記事を紹介。


4つの縄文ユートピア論

(1)自然との共存、共生の知恵~自然と共存への道

 四方を海に囲まれ、約70%の森林をもち、平地には豊かな農地を開墾することで、人間の命を守ってきた知恵。山紫水明の国として、豊かな自然環境を大事にしてきた知恵。

(2)平和を愛し、争いを好まない民族性~平和への道

 考古学の人骨のDNA 調査でも、縄文人の殺傷率は約1.8%で、大陸の諸文明の平均約12%と比べても極めて低い。さらに人を殺傷する目的の武器は発掘されておらず、まさに平和な縄文ユートピアを実現していた。

(3)母性尊重の社会~母性尊重への道

 人類は男性と女性で家族、社会を構成してきた歴史がある。女性は母性が備わり、子どもを生み、育てる重要な役割を担っている。歴史の半分は女性、すなわち母性が役割をはたしてきた。しかも、母性が発揮された時代は平和であったという歴史論も存在する。

 縄文時代は、まさに男女の役割分担が明確で、加えて共働の時代であった。さらに死者への葬送においても、重要な役割をはたしていた歴史的事実がある。現在の危機を抱えた時代には、母性復活がまさに必要である。歴史的で具体的事実は、縄文文化にあったのだ。

(4)共同体的富の平等な社会~富の公平な道

 現時点で考古学的に判明しているのは、縄文中期(約5,500~4,500年前)の三内丸山遺跡ができた時代には、縄文文化が約26万人という最大の人口を有していたことだ。この時代には国宝の馬高遺跡の縄文火炎土器や、茅野市の縄文ビーナス土偶、山形県の「縄文の女神」土偶がつくられた。

 筆者も何度か三内丸山遺跡を訪れたが、集落の規模が約500人で、5~6人規模の竪穴式住居に点在しており、相互に協力的な共同体を形成してきた。物々交換の時代であったが、経済的には富の平等性・公平性が行き渡った文化を形成していたという歴史的事実がある。

 以上4点から、人類が希求してきた普遍的な価値をすでに縄文時代に具現化していたともいえる。この4つの普遍的な精神は、15年に国連で提唱された持続社会の実現のための17の精神、SDGsの価値と一致しているのだ。

(つづく)


Copyright Jomondo Kenkyujo

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