「最後のバンカー」元三井住友銀行頭取の西川善文氏死去~戦後最大の経済事件「イトマン事件」を振り返る(3)
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三井住友銀行初代頭取や日本郵政初代社長を務めた西川善文(にしかわ・よしふみ)氏が9月11日に死去した。享年82歳。各メディアは、即断即決と強力なリーダーシップで金融危機下の銀行経営を先導し、「最後のバンカー」と言われた西川氏の評伝を載せた。バブル景気の後、中堅商社イトマン(株)の不良債権問題の処理に奔走したことが、バンカーとしての最大の仕事だったといえる。改めて、「イトマン事件」を当事者たちの回想を基に振り返る。
河村は10億円の裏金をつかまされ弱みを握られる
許氏は、イトマン事件をどう見ているか。自伝『海峡に立つ 泥と血の我が半生』(以下、自伝)(小学館)で、イトマン事件について1章を割いて、語っている。
許氏は、イトマン事件の発端は、イトマンの系列繊維商社で東証二部上場の立川(株)という会社の株式をめぐって、「マチ金の帝王」といわれたアイチの森下安道氏と攻防を繰り広げていたことにある、としている。
88年6月にアイチが立川の筆頭株主になる過程で、河村氏は伊藤氏を頼った。対抗のため、増資することでイトマン側の持ち株を増やして、過半数を奪い返した。
「しかしその裏で、伊藤と森下が手を組み、新たに取得した立川株の一部をアイチに売り渡す密約を結んでいたという――。
伊藤と森下は、その一部の10億円を、謝礼として河村さんに渡したというのだ。これはもちろん裏金となり、業務上横領となる。河村さんが金を受け取ったのは、自社株を自分で買いたかったからだ。これにより森下と伊藤から決定的な弱みを握られてしまった。
助けを求める河村さんの狼狽ぶりは、見る堪えないほどだった。
『それは具合が悪い。わかりました』
私はそういって、翌日10億円の現金を持参して、森下のところにはせ参じた。
『あんたなにしてんの!こんなことで河村さんを型にはめてどないするんや。金を渡すからこれはもうない話やで』
そういって、10億円を渡し、領収書をもらって翌日河村さんに渡した。
思えば、あの出来事ですべての歯車が狂い出した」元住銀名古屋支店長のイトマン専務が伊藤氏を河村氏に紹介
伊藤氏は、饒舌で爽やかなスポーツマンタイプの不動産業者である。その名をとどろかせたのは、東京・銀座で難航不落と言われた老朽化ビルの地上げに成功してからだ。以降、バブルの波に乗ってゴルフ場に進出、バブル紳士として名を馳せた。
その伊藤氏を惚れ込んでいたのが、イトマン専務。元住銀名古屋支店長時代に、名古屋を中心に冠婚葬祭事業を経営している伊藤氏と出会い、その経営手腕を高く評価した。
許氏は、『自伝』で以下のように書いている。
「すべての発端は、専務が河村さんに伊藤を紹介したことだった。人たらしの伊藤は、河村さんにも気に入られ、イトマンの救世主扱いにされることになる。
出会った当初から、伊藤には得体の知れない気味悪さを感じたが、男前で、人を惹きつける天性の魅力を併せもっていた。河村さんだけでなく、住銀の磯田会長にも気に入られ、1990年にはイトマンの常務にまで就任している」河村氏が伊藤氏を招いたのは、東京・南青山で計画を進めていた東京本社ビルの建設用地取得交渉が難航しており、この地上げをまとめてもらうことだった。地上げには1,000億円という巨額の金が動いた。その後も、鹿児島のゴルフ場、銀座1丁目の地上げなど、3,000億円といわれる「伊藤プロジェクト」にのめり込んでいった。
伊藤を会社に引き入れたイトマン専務は、自宅の風呂の浴槽で自殺した。専務の後任の住銀名古屋支店長は射殺された。
(つづく)
【森村 和男】
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