2024年11月24日( 日 )

【凡学一生の優しい法律学】日本学術会議委員任命拒否事件(3)橋下氏の詭弁(前)

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1. ついに2大詭弁家揃い踏み

 前回の記事で本事件に関する弁護士橋下徹氏のあきれた詭弁について解説したが、筆者の予言どおり、加藤勝信官房長官も稀代の詭弁家として参戦してきた。あまりにも稚拙な論理であるため、簡単に指摘する。

 加藤官房長官は、日本学術会議(以下、学術会議)会員が「特別公務員」であること、および会議運営の経費が国庫から支払われていることから、菅首相の任命権と拒否権には正当な根拠があると説明した。

 国会議員も「特別公務員」であり、国会議員の活動経費(歳費も含めて)は国庫から支出されているため、総理大臣に任命権や就任拒否権があるかといえば、誰もが「馬鹿げた論理だ」と理解するだろう。まったくもって本質を無視した、明らかな「こじつけ」の論理である。

2. テレビでの報道で欠けている本質的議論

 本事件は日本学術会議法により制定された独立団体の制度趣旨にそった「自治権・主体性」を認めるか、法律上の文言「任命する」という用語に総理大臣の支配権を認め、学術会議を総理大臣の支配下に隷属させるか、という「解釈」の問題である。これは一方で、「推薦」という用語の意味を「軽んじる」ことと対になっている。

 法技術的には学術会議が決定した人事を総理大臣が念のため「承認する」とでもしておけばよかったのであるが、実際に政治を支配する官僚たちは自分たちの支配の可能性を残す「文言」を常に使用する。

 今回の騒動も「任命する」という文言の解釈から発生しているが、現実の国会議員らは事情を何も知らず、学術会議の設立の趣旨や期待される権能をまったく無視した議論である。行政行為のなかにさえ、独立性が必要な行政行為があり、それは「独立行政委員会」として内閣つまり総理大臣から独立している。

 国民は教えられていないために知らないが、検察庁は制度的には法務省の一部局であるものの、検察権の行使は時の内閣から明確に独立している。ちなみに検察官の身分は普通の公務員であり、特別公務員ではない。

3. 橋下弁護士と宇都宮弁護士の論争

(1)宇都宮氏と橋下氏の「任命」主張

 弁護士の宇都宮健児氏は、「任命する」という文言があっても形式的なものもあれば実質的なものもあり、天皇の国事行為における諸任命と同様に、学術会議会員についての「任命する」という文言も形式的なものであると主張した。

 これに対して、橋下氏は意味を理解しにくい「民主的統制」という多義的な術語を用いて、天皇の任命権が形式的なものであることを説明し、学術会議には民主的統制が必要であるため、形式的任命権ではないと主張した。

(2)橋下氏の詭弁 その1

 橋下氏は、「国事行為、学術会議のいずれの場合でも『任命する』という用語は1回しか出現せず、用いられていない。国事行為の場合には総理大臣がそれを無視して、先に『民主的統制』として『任命』しているため、天皇の『任命』は形式的なものであり、当然、拒否権はない」とした。橋下氏がいかに論理を無視した詭弁をもてあそぶかは、この事例からも明白である。

 まず、任命権者である天皇に対しては「内閣」が助言と承認を与えるのであって、総理大臣の個人的任命権を論ずる余地はない。もちろん、総理大臣の意思に閣僚全員が同調したとしてもそれは実質的な話であって、法的論理のレベルでは内閣という執行組織体の判断が論理的存在である。いうまでもなく、内閣にはいかなる職位に対しても任命権を有していない。橋下氏の主張は、法令の解釈問題とは別次元の「政治学的理解」「法社会学的理解」の世界である。

 橋下氏の論理の詭弁性は、「民主的統制」という術語の使用にある。論争の骨子は「任命する」という文言について、実質的な権利かそれとも形式的な権利かということである。実質的な権利の場合に認められる民主的統制の効果を先に前提して議論することは、帰納的論理(「先に結論ありき」の論法)にほ必ず、以前に筆者が指摘した詭弁の論理の1つである。

 このような事情から、橋下氏の論理では、学術会議への民主的統制は当然の前提となっている。この民主的統制という用語で橋下氏が何をイメージしているかは不明であるが、本来政治上明らかに中立的な立場である学術団体に民主的統制の必要があるとする根拠の具体的な理由がまったく不明である。

 橋下氏の論理に対して、国民はすべての侵略戦争は「自衛のための戦争」といって開始された歴史を思い出すであろう。そして、民主的統制の必要があるとして学術団体に介入し、結局、自民党色に染め上げるのではないかとの危惧を抱くであろう。これを応援するのが、橋下氏の論理となる。

(3)橋下氏の詭弁 その2

 橋下氏は行政争訟の基本を恐らく知らない。行政処分における不利益処分については処分の理由を示すとともに、それに対する不服申立方法の教示を必要とする。通常の行政処分は申請者の申請と受理から手続が開始されるが、本事件では菅総理大臣が任命した場合においても、それが行政処分であるかどうかが疑わしい。
 もし、任命拒否が行政処分であれば、理由も述べず不服申立方法も教示していないことのみにより違法処分となる。議論の余地はない。

(4)任命行為の本質

 総理大臣には、国務大臣の任免権がある。国務大臣は行政の一部を受任するため、行政全体の最高責任者である総理大臣の任免権が正当化されるが、学術会議の会員が行政の一部の執行を総理大臣から委任されているかのだろうか。逆にいうと、総理大臣が学術会議の学者に委任して執行すべき行政活動はあるのか。

 このことを考えると、学術会議は明らかに行政ではないため、いかなる意味でも総理大臣が業務を委任する関係、言いかえると任命する関係にない。つまり、任命は明らかに形式的なものである。任命とは、総理大臣が保有する行政執行責任の一部を委任する関係であることを理解すれば、橋下氏の詭弁は雲散霧消することは明白である。

(つづく)

(2)
(3)-(中)

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