新生ファミマ・澤田社長とローソン・玉塚社長は、ユニクロでの挫折から再起した盟友だ!(後)
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社長を解任された玉塚氏
2002年11月に、40歳の若さで(株)ファーストリテイリング(以下、ファストリ)社長に大抜擢されたのが玉塚元一氏だった。
玉塚氏1962年5月23日、東京生まれ。東京証券取引所理事長の玉塚栄次郎氏を祖父に持つ玉塚氏は、幼稚舎(小学校)からの生粋の慶應ボーイ。慶應ラグビー部の背番号7(フランカー)として、84年に全国大学選手権で準優勝の栄誉に浴している。
85年、慶應義塾大学法学部を卒業、旭硝子(株)に入社。将来は自分で商売をやりたいという思いが強く、米国でMBA(経営学修士)を取得し、旭硝子を退職。日本IBM(株)に転職し、コンサルタントになる。営業に訪れたユニクロで、澤田氏からスカウトされた。
柳井氏に会って、衝撃を受けた。理路整然と、「アパレル業界に革命を起こす」と話す柳井氏のカリスマ性に魅せられた。98年、家族の猛反対を押し切り、ファストリに取締役として入社した。入社4年で社長に就いたものの、2005年7月に解任された。オーナーの柳井正氏は、株式を上場して以来、初めてマイナス成長になった業績を、右肩上がりの本来のユニクロの軌道に戻すことを玉塚氏に期待したが、玉塚氏は安定成長を志向した。05年8月期の増収減益が柳井氏の逆鱗に触れた。柳井氏は玉塚氏を更迭し、自ら社長に復帰した。
「泳げない者は沈め」――柳井氏の非情な経営哲学だ。玉塚氏は失意のうちにユニクロを去った。ユニクロはヒートテックで再び急成長を遂げる。柳井氏はこと経営については“狂の人”だ。コンビニに復帰した盟友
05年、ユニクロを辞めた沢田貴司氏と玉塚元一氏は、企業支援会社リヴァンプを設立した。リヴァンプとは「立て直す」という意味。リヴァンプは、相手先の要請により期限付きの買収を行い、経営を譲り受ける。そして経営者のみならず社員も含めたチームを送り込み、再建に取り組む。目標を達成すれば成功報酬を得て、株式を返却する。
最初の案件が(株)ロッテリア。これを再生したことで、玉塚氏はローソンの新浪剛史氏にヘッドハンティングされた。同じ慶應大学体育会の先輩・後輩だ。11年にローソンの副社長に就任。14年5月、新浪氏の後任として社長に就いた。
一方、澤田氏は、古巣の伊藤忠の招きで、新ファミマの経営を任された。2人の盟友は、コンビニのライバルのトップとして剣を交える。彼らを突き動かしていたのは、ユニクロでの挫折体験にあった。澤田氏と玉塚氏はコンビニに大輪の花を咲かせて、ユニクロの柳井正氏を脱帽させることができるだろうか――。
(了)
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