ドンキ・大原孝治前社長、株購入の不正推奨疑惑で判明~突然の退任劇の真相(中)
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「ドンキ前社長、株購入を知人へ不正推奨疑惑」の報道が飛び込んできた。旧(株)ドンキホーテホールディングス(以下、ドンキHD)の大原孝治前社長が2019年9月に突然、退任したことについて、理由が明らかにされていなかったが、今回の報道でこの疑惑が退任の理由であったのかと得心がいった。
「圧縮陳列」「深夜営業」「手書きPOP」の3点セット
ドンキHDの歴史を振り返ってみよう。
「ドン・キホーテ」の創業者である安田隆夫氏は「安売り王」の異名をとる立志伝中の人物である。1949年5月、岐阜県生まれの71歳。慶応義塾大学法学部を卒業し、不動産会社に勤務した。
78年、安田氏は29歳のときに東京・杉並区に18坪のディスカウントショップ「泥棒市場」を開業。処分品やバッタ品を現金で安く仕入れて売ることで、商売を覚えた。深夜営業がブレークして成功を収める。80年、小売業の(株)ジャスト(現・PPIH)を設立した。
89年、東京・府中市にドン・キホーテ1号店をオープンした。安田氏が考え出したビジネスモデルは、「圧縮陳列」「深夜営業」「手書きPOP」の3点セット。標準化した店でモノを整然と並べる大手チェーンストアと異なる手法を徹底した。その原動力になったのは、店舗全体をアミューズメント・パークとして演出する手法である。
店内には、食品や日用品、時計、宝飾品、家電製品など約4万点を陳列。圧縮陳列と呼ばれる商品が天井近くまで積み上げられた迷路のような店内で、商品を見つけ出す妙味が若い客から支持を得た。96年に店頭公開、97年に東証二部、2000年に東証一部に上場をはたし、破竹の勢いで急成長を遂げた。
「驚安の殿堂」ドン・キホーテは、全国区のブランドとして認知された。最大の痛恨事は、ドン・キホーテ店舗の連続放火事件
安田氏の企業家人生における最大の痛恨事は、埼玉県さいたま市内のドン・キホーテ店舗で相次いだ連続放火事件だ。放火されたドン・キホーテが被害者であったにもかかわらず、その非難の矛先は安田氏に向けられた。
04年12月13日のドン・キホーテ浦和花月店の放火事件では、店員3人が焼死、8名が負傷する惨事となった。寝具売り場で放火が発生し、またたく間に商品へと燃え移り、浦和花月店は全焼した。一度は店内から脱出したものの、「来店客が逃げ遅れていないか」を確認するために店内に再突入した3人のアルバイト店員が、店内から再脱出できず焼死した。
安田氏は被害者の立場ではあったものの、集中砲火を浴びた。大量の商品をジャングルのようにうずだかく積んだ陳列棚を用いて、通路を迷路のようにする「圧縮陳列」と呼ばれる店舗のつくりが、被害を大きくしたと指摘された。
この圧縮陳列が、火災で店員が逃げ遅れた原因とみられた。連続放火事件を受けて東京消防庁が都内のドン・キホーテ31店で実施した立ち入り調査でも、商品が通路をふさぐなど、計195件の消防法違反が指摘された。創業者の安田社長は、火災への対応を終えた後に、責任を取って社長を辞任。05年9月に会長に退いた。
この連続放火事件では、精神疾患で通院歴がある元看護師の女性が逮捕された。ドン・キホーテ3店、スーパー4店の7件の放火容疑だ。この女性の責任能力の有無が争点になったが、裁判所は女性の責任能力を認め08年11月、無期懲役が確定した。
連続放火事件では、詐欺事件も起きた。(株)ドン・キホーテの元常務が遺族対応のコンサルタント費用の名目で、同社から3,100万円を騙し取った詐欺罪で逮捕され、11年10月、懲役3年6月の実刑判決を受けた。
安田氏にとって、これらは最悪の事件だった。この事件後、安田氏は経営の第一線から退き、表舞台から姿を消した。
(つづく)
【森村 和男】
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