2024年07月20日( 土 )

これから先10年、20年、世界はどうなるのか(後)

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広嗣まさし(作家)

 新型コロナウイルスが全世界を「麻痺」させている現在、今後の世界を見通すことは難しい。この先の10年は見当がつかないのが、本当のところだ。シナリオをあえて書くとすれば、「世界の分断化が進む」であるが、もしそうであるならば、我々は何をすべきか。「分断化」を肯定的に受けとることしか、なすすべはないのではないか。

 20世紀は核戦争の脅威が増し、科学技術の進歩に「赤信号」が灯った時代である。一方、知の進展には目覚しいものがあり、人類は20世紀に初めて地球を知り、人類を知り、生物を知ったといえよう。アインシュタインの相対性理論、量子力学の誕生が宇宙の果てという遠方にまで、我々の知の範囲を広げた一方で、目に見えない素粒子の運動が我々の思考や身体を動かしていることもわかってきた。知の発展において、20世紀初めからの120年は目覚しいものがある。

 この時代は情報の時代とも言われ、情報科学とそれにともなう電子産業が発達した。その結果、携帯電話やスマートフォン、パソコンにタブレットなどを通じて、あらゆる情報を簡単に手に入れることができるようになった。今では、それらの情報をどう処理していくかということに未来がかかっている。日々怠ることなく、自身の脳を整理しなくてはならなくなった。

 生物学も画期的な進歩を遂げ、遺伝情報の解明はそのなかでもとくに重要である。遺伝子工学による目覚しい成果が押し寄せる一方で、生物の進化系統が整理され、人類の生物界における位置づけも明確になった。今では人間が自然の一部であり、それ以上でも以下でもないことは疑いようのない事実となった。

 こうして20世紀に大きく進展した自然科学は人文系学問にも影響を与え、なかでも人類学と言語学は目覚しい成果を上げた。それに比べて遅れを取っている哲学は、本来ならば行うべき諸学を統括する理論を構築ができておらず、科学理論の吟味すらままならない。このような状態では、「無用の長物」と呼ばれても仕方がないだろう。

 かつての乱脈な自然開発が許されなくなったのも、気象学・地質学・生態学が進んだためである。人類を囲む自然環境の問題、生き物の世界への関心が人々の間で高まっていることは、動物ドキュメンタリーがテレビ番組として成功していることにも現れている。人類は、近代文明の弊害を乗り越えるための自然哲学の再開発に、さまざまなかたちで取り組んでいる。

 一方、そのような知の流れを、為政者らがどの程度受け止めているかということが問題だ。政権の運営者は国益のみを考えておればよいという考え方は、人類史の実情に合っていないのではないか。たとえば、アメリカは世界全体を自国の支配下に置いて、膨大な利益を得ようとしてきた。一方の中国も、負けじと勢力範囲を広げようとしており、欧米が行ってきた勢力拡大をなぜ中国がしてはいけないか、という論理を掲げている。中国内の思想統制、人権抑圧、自然破壊、いずれも「内政」問題であるため、外から口を出すなというのである。

 振り返ってみると、アメリカも、その他の国も国益を追求してきた。しかし、国民の利益を踏みにじってまで国益を追求するなら、真の国益とは呼ぶことはできない。中国にとって、中国という国家体制のほうが中国人民よりも大切であるとすれば、それは明らかに「人民共和国」の名に反する。

 これから10年、20年先を占おうとして中国批判を展開してしまうのは、現在の中国がそれほどに尋常でない状況にあり、それが近未来の世界に与える影響が大きいためだ。中国の動きに注目して、「大変動」が起きても巻き添えとならないよう準備をしておくべきだろう。

 習近平は終身国家主席であろうとしているが、共産党の幹部らははたして本当に承認するだろうか。プーチン大統領は独裁者であるが、ロシア国民の精神までも圧殺しているわけではない。イランの宗教的指導者にしても、国民の思想と行動を抑圧してはいるが、イラン人の精神まで殺してはいない。ところが中国では、ウィグル人やチベット人のみが抑圧されているのではなく、国中の研究者や学生が、すべてにおいてほとんど疑問を抱くことができないほど知的に管理され、生気を抜きとられている。

 一時代前の中国を知る人は、「中国はそれほどひどくない、日本のメディアの中国に関する報道は偏っている」という。しかし、武漢に発生した新型コロナウイルスは中国政府を窮地に追いやったのだ。コロナ以前とコロナ以降ではいずれの国も大きな変化を余儀なくされているが、中国の最近の動きは、コロナが起こらなければあり得なかったと考えられる。中国がコロナを生み、コロナが世界を変え、もっとも大きな被害を被ったのは、どうやら中国自身である。

 これまでさまざまなことを述べてきたが、今の状況で世界の先行きを読むことは難しい。筆者としては、「中国がコロナを鎮めることができたのは全体主義体制のためであり、我々もその体制に移るべきだ」と考えることのみは避けてほしいと感じる。人は社会あっての個人であるが、社会が一人ひとりを生き生きとさせるものでなくてはならないことを忘れてはいけない。

(了)

(中)

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