王将の第三者委員会「調査報告書」を読む~福岡センチュリーゴルフクラブの上杉昌也氏とのズブズブな関係(前)
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「餃子の王将」を展開する(株)王将フードサービス(京都市、渡邊直人社長)は3月29日、大東隆行前社長の射殺事件についての調査報告書を発表した。この報告書で、創業家と関係が深いゴルフ場運営会社を経営する男性が率いる企業グループとの260億円の不適切な不動産売買があり、そのうち170億円が未回収になっていることを明らかにした。
上杉昌也氏は“解同のドン”の異母弟
王将が公表した第三者委員会(委員長・大仲土和弁護士)の調査報告書は、不動産取引があった企業グループと経営者について具体的な名前を記載していない。A氏が経営に関与する企業Bグループ、ゴルフ場運営会社はB1社と書かれている。
A氏は“解同のドン”と言われた故・上杉佐一郎元部落解放同盟中央執行委員長の異母弟にあたる上杉昌也氏。Bグループは(株)京都通信機建設工業、B1社は(株)福岡センチュリーゴルフクラブ(福岡市)である。本サイトNetIBは、福岡センチュリーゴルフクラブの倒産の舞台裏を追求してきた。筆者はコダマの核心レポートとして「偉大な兄に泥を塗った、福岡センチュリーゴルフクラブ・上杉代表」を掲載(2011年6月29日付と6月30日付)。福岡地検が今年、福岡県朝倉市にある上杉昌也氏の自宅を家宅捜索したときは、「王将社長射殺事件と福岡センチュリーゴルフクラブの接点」のレポートを載せた(16年2月1日付)。
王将の創業者、故・加藤朝雄氏は飯塚市、解同の上杉佐一郎氏は小郡市の出身。福岡県の目と鼻の先の同郷だったことから、関係が築かれた。朝雄氏が王将の全国展開に乗り出す際、上杉氏が口利きしてメガバンクから数百億円を引っ張ってきたことはよく知られている。
朝雄氏と佐一郎氏は、一心同体の絆で結ばれていた。その関係は、佐一郎氏の異母弟の上杉昌也氏に引き継がれた。昌也氏は1944年の生まれ。佐一郎氏とは25歳の年齢差があり、親子ほど年が離れている。故郷に錦を飾る福岡センチュリーゴルフクラブ
上杉昌也氏は1987年5月、ゴルフ場運営会社、福岡センチュリーゴルフクラブを設立。90年5月に甘木市(現・朝倉市)にゴルフ場をオープンした。佐一郎氏は福岡県小郡市の出身で、隣接した甘木市にゴルフ場をつくったのは、故郷に錦を飾る意味が込められていた。佐一郎氏は小郡市の名誉市民だ。
佐一郎氏は昌也氏ともども美空ひばりと親交があり、美空ひばりが87年4月に福岡県済生会福岡総合病院に長期入院したのは、佐一郎氏の紹介による。福岡センチュリーゴルフクラブのオープンを見届けた加藤朝雄氏と上杉佐一郎氏は、相次いで亡くなった。朝雄氏は93年6月に68歳で、佐一郎氏は96年5月に77歳で他界した。
2人の関係は、異母弟の昌也氏に引き継がれた。朝雄氏が逝去した際の社葬では、昌也氏が「友人代表」を務めた。王将は、オープンした福岡センチュリーゴルフクラブの支援を惜しまなかった。報告書によると、91年から93年までの間に、計6回、王将の取引先で構成される親睦団体「王将友の会」の親睦ゴルフ大会を福岡センチュリーゴルフクラブで開催した。「王将友の会」の設立発起人になったのは、昌也氏だった。
朝雄氏が亡くなった後、王将の経営陣で昌也氏とのパイプを築いたのは、朝雄氏の長男で3代目社長の加藤潔氏(現・相談役)と次男で経理部長を兼ねる専務の欣吾氏(現・公益財団法人加藤朝雄国際奨学財団常務理事)だ。
朝雄氏の妻の梅子氏の弟が、4代目社長の大東隆行氏である。大東氏は13年12月、京都市の本社に出勤し、駐車場で車を降りた直後に射殺された。(つづく)
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