【長期連載】ベスト電器 消滅への道(15)戦略なき拡大と挫折と新世界、M&Aの波間に消えた九州小売業の雄たち(前)
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ユニード、寿屋、そしてベスト電器。「九州の覇者から全国へ」という野望を抱き、事業拡大に走ったが、いずれも惨憺たる結果に。没落していく企業にはそれなりの理由がある。ベスト電器が繰り広げた“ドラマ”を振り返る。
九州の雄といわれたユニードと寿屋
かつて九州の代表的な小売業といえば、渕上ユニードであった。1885年創業の同社はその後、幾多の曲折を経た後、1970年に大阪府に出店し、九州外への進出を試みた。78年には福証に、翌年には大証二部に上場したが、80年代に入る前に規模の拡大に業績がともなわなくなり、81年にはダイエーとの提携に踏み切る。その前に、熊本に本部があった寿屋との提携話も浮上したのだが、両社の思惑の違いから話し合いはうまくいかず、最終的にはダイエーの傘下に入ることになる。
寿屋との提携交渉はテーブルの上では笑顔で交渉するものの、テーブルの下では互いの足を蹴り合っていたという笑えない逸話も残っている。主導権争いと損得勘定は企業経営者とすれば当然ではあるが、それを優先する限り、効果的な合併は望めない。
その寿屋は、47年に大分県佐伯市で創業。関西神戸地区に1店舗、山口に3店舗出店したものの、それ以上の拡大はなかった。その後、店舗の老朽化による収益縮小が続き、最後にはサンリブとの提携で生き残りを図ったものの、提携に至らず、2001年に破綻した。この提携も戦略的要素は薄く、金融機関を介した救済型の合併に近いものであったため、うまくいったとしてもその後の展開は悲観的なものになった可能性が高い。
頻繁な値下げがおよぼす悪影響
寿屋はあくまで駅前を中心とした繁華街立地、多層階にこだわった、いわゆる百貨店志向である。宮崎店や熊本下通店といった百貨店タイプの店もつくった。しかし、当時の百貨店問屋は新興の日本型大型店に百貨店と同じブランドを提供しなかった。問題はそれだけではなかった。低価格路線に加えて、高質を目指した百貨店志向に従来の顧客はそっぽを向いた。それでも寿屋は高質、高単価にこだわったが、思惑通りことが運ばなかった。それがうまくいかないとなると、そこにはマークダウンという値下げが発生する。
創業からしばらくは、団塊の世代を中心としたあり余る安い労働力で運営できた寿屋だったが、高度成長期には毎年2ケタの勢いで伸びる人件費と急騰する店舗建設費用により、売上対比の経費率は28%程度に高まっていた。原価に40%の利益を乗せても20%割り引けば、粗利率は経費率を大幅に下回る。それを売り切るためには半額以下となる。このことはさらに売り場に悪影響をおよぼす。一度値下げが始まると、一般商品のほとんどが正札で売れなくなる。小売業にとって一番大切な価格の信頼性を失うからである。値下げの影響は小さくない問題を企業におよぼした。
この蹉跌(さてつ)はイトーヨーカドーやダイエーも味わった。頻繁な値下げ、貧弱な駐車場、買い回りが面倒な多層階、店舗の運営コストの高い繁華街。こうなると利益が出なくなる。利益がなければ、旧タイプの小型店のスクラップや必要な店舗改装もままならなくなる。寿屋やダイエーは店舗の老朽化が目に余るところまできても、それを改修する力を失っていった。
(つづく)
【神戸 彲】
<プロフィール>
神戸 彲(かんべ・みずち)
1947年、宮崎県生まれ。74年寿屋入社、えじまや社長、ハロー専務などを経て、2003年ハローデイに入社。取締役、常務を経て、09年に同社を退社。10年1月に(株)ハイマートの顧問に就任し、同5月に代表取締役社長に就任。流通コンサルタント業「スーパーマーケットプランニング未来」の代表を経て、現在は流通アナリスト。関連キーワード
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