神の怒り、自然の破壊力に~慢心人間の無力(1)
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15日と16日天国と地獄
4月14日夜9時過ぎの地震に威力を受け止めた時には「あーこの程度なら福岡の地震規模だな。発震中心部でもそんなに被害にはならないな・・・」と直感した。確かに14日夜地震で9人の犠牲者がでた。ところが16日夜中1時過ぎの衝撃には驚いた。「これは凄い。とんでもない被害が生じる・・・」と直感した。15日には3人の記者達を現地へ飛ばした。熊本城の城壁の瓦解や益城町の被害状況を耳にした。九州自動車道の亀裂などの凄まじい被害も一部にあったが、全体的にまだ長閑な様相が残っていた。
現実に15日、電話で現地取材した。ある友人のA経営者へ聞いてみた。「夜中に事務所へ直行した。いろいろと散乱していたが、2時間で片づけて引き上げた。自宅の方には何ら傷みの発生は無かった」と語る。マンション会社熊本営業所のB氏にも連絡してみた。単身赴任者である。「いやー凄い揺れでしたね。一晩中、心配していましたが、私のところが手掛けたマンションの被害は皆無でした。一安心しました」。
14日の地震で最大の被害をだした益城町に隣接している熊本市西区に住宅を持っているC氏にも尋ねた。「室内のものが落ちてきたりして足の踏み場もない。また食器類が割れて整理つかずの状態となった。寝られる空間が無い。結果的に車に寝たよ。ひどい目に遭った」という返事があったのだが、まだ余裕がみられていたのだ。
ところが16日になると、3名とも腰を抜かした程の狼狽を見せている。まずはA氏の場合から紹介しよう。事務所の被害は半端ではない。「壊滅的だ」と呟く。整理には18日までかかるという。周囲のオフィスもどこも無残な被害を受けている。さらに頭が痛い問題は自宅の状況である。かなり震災対策を練って建てたつもりであるが、屋根瓦は落ちるや壁の亀裂が目立っているとか。この修復にも頭を痛めているそうだ。出費も大変であろう。
B氏の場合は生死の境に立たされた。単身赴任のB氏は事務所の2階に泊まっていたのだ。16日夜中の地震第二次攻撃は14日の比ではなかった。下から突き上げられて「宙に飛ばされたのか」という恐怖感を味わった。慌てて飛び出した。そして外で一夜を過ごした。明るくなって調べると2階は底が抜けて落下寸前であったとか。勿論、1階の事務所の使用は不可能状態になっていた。「飛び出したのは間違いでなかった」と自問自答している。
C氏の場合はどうだったのか!!隣近所の方々が「国の方では『強い地震発生の可能性は少ない』と言っている。今晩はそれぞれ自宅泊しよう」というものだから付和雷同して泊まった。そこに激震が襲う。C氏の上に本箱が倒れ掛かってきた。間一髪、横に逃げて直撃から免れた。「隣近所で下敷きになって圧死された方がでた。行政が甘いことを発したことで被害者がでたのは許せない。拙宅は建て替えが必要だ」と怒りの声を上げるが、憔悴してもいるようだ。
会社命令が周知しない、我が命、我が家族安否優先
熊本で20棟1,000戸供給しているD社長は諦め顔である。15日は平穏で過ごせたのであるが、16日は朝4時頃から携帯へ指示を仰ぐ電話が殺到してきた。「○棟の○室が水浸しになりました。一室ではないのです。二桁の被害がでているのです」というのが、第一報であった。それから16日は一日中、熊本からかかってきた電話数は100件を超えた。現地から報告から得た決断は「我が方の物件20棟すべてに被害がでている。これはどこのマンションにも共通していることだ。尽力を超えた自然のパワー(地震力)が襲いかかれば一溜りもないことを思い知った」ということである。
さー現地被害調査に着手しなければならない。ところがだ。熊本現地の社員達も熊本地震の被害者である。住宅に致命的な打撃を受けて住むことができないような最悪の環境にある者たちも多い。彼らを守ることを優先しなければならない。「食料が尽きます。ご支援ください」という切実な頼みも届いている。会社命令を周知する以前の非常事態なのである。D社長は覚悟した。「まずは社員達を防衛してやることを優先する」と。
(つづく)
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