【東日本大震災から10年(2)】福島第一原発事故から10年、放射性物質汚染の現状 公的除染終了後の問題(前)
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福島自然環境研究室 千葉 茂樹
もうすぐ、3・11震災・原発事故から10年を迎える。この原稿では、東京電力福島第一原子力発電所事故(以下、原発事故)による放射性物質の汚染がいまだに続く福島県中通りの現状を、私の徒歩の調査から報告する。また、後半には「2021年2月13日の地震で発生した問題」も書かせていただいた。
事故から10年~放射線の主体はセシウム137
2011年3月11日に発生した東日本大震災に伴う原発事故により、多くの種類の放射性物質が大気中に放出された。このとき地表を汚染した放射性物質は、主にセシウム134とセシウム137で、割合はだいたい1:1だった。事故から10年経った現在、放射線の主体はセシウム137になった。これは、放射能(放射線を出す能力)が半分になる年数(半減期)が、セシウム134が約2年、セシウム137が約30年のためである。セシウム134の放射能は、この10年で当初の4%まで減少した。同様にセシウム全体の放射能は、除染しなくても、理論的には原発事故直後の約24%になっている。
当サイト2020年5月26日の記事に、「『徒歩の調査』から見た福島第一原発事故 被曝地からの報告」があるので、ぜひご覧いただきたい。こちらには、原発事故直後の私の行動、福島市渡利の状態・調査に至った経緯などを書かせていただいた。
私の調査方法を簡単に書くと、放射線測定器を首からぶら下げて各地を歩き、放射線の測定を行うというもの。付け加えると、「放射線量の調査の方法」は大きく3つある。1つ目は「航空機」で測定する方法、2つ目は「自動車や自動二輪車」で測定する方法、3つ目は「徒歩」で測定する方法である。前者ほど短時間で広範囲に測定ができる。最近は1つ目(航空機)や2つ目(自動車など)の調査方法が主流である。これらは大雑把に見るのに適しているが、細かな部分を見るには適していない。この点、徒歩で測定する方法は時間がかかる反面、調査を密にでき、見落としが少ない。ただし都市部の場合、人家・工場などの敷地や草藪・湿地に入っての調査はできないという制限はある。
除染後も続く放射性物質の汚染
公的除染は11年10月から始まり18年3月に終了した。対象は、公共施設・民家と敷地・農地・道路・里山などで、山地や民間施設・敷地は対象外である。これらの除染は所有者の判断に委ねられている。したがって、都市部でも除染していない場所がいまだ多数残っている。
まずは、私が調査した福島県本宮市(福島第一原発から約60キロkm西方)の「除染の問題」について報告したい。本宮市における私の調査は12年から始まり、20年まで毎年実施してきた。ただし13年の調査は郡山市に重点を置いたため、欠測した。
本宮市の公的除染は遅く、私の調査地域では、主に15年秋から16年春の間にかけて行われた。この公的除染の実施期間は、私が行った調査の合間にあたる。したがって、15年と16年の調査結果から公的除染の効果や検討ができる。
まず、私の調査について説明する。調査方法は徒歩、機材は日立TCS-172BとTCS-171、測定は地上1mの空間放射線量率(以下、線量率)である。調査地域は、本宮市役所の南南東付近で、南北700m、東西450mの約18万m2である。調査地点数は、15年が1,717地点、16年が1,812地点である。測定の密度は10m四方に1個程度となる。各自治体がHPで公表している測定の密度は、500m四方に1個あるいは1km四方に1個である。徒歩による調査がいかに濃密か、これでおわかりいただけると思う。
次に、私が直接見て、聞いた「本宮市の公的除染の方法」を報告したい。民家除染の代表的な方法は、まず足場を組み、次いで屋根や雨戸に水を高圧噴射して放射性物質を取り除く方法だった。敷地は表土を入れ替え、玉砂利は洗浄し、芝は張り替える。植木はそのままである。アスファルト道路では、道路上および歩道の汚染土を取り除く。
除染の効果はどうだったのか。公的除染は、私が行った15年と16年の調査の合間に行われた。そのときに測定した平均値は15年が「0.44μSv/h(マイクロシーベルト)」、16年「0.28μSv/h」である。したがって線量率は、前年の64%に低減した。ただし、理論的には放射能は何もしなくても減衰する。16年の場合、理論的には前年の86%すなわち0.38μSv/hに低下する。ゆえに、「理論値86%(0.38μSv/h)-実測値64%(0.28μSv/h)」=22%(0.10μSv/h)分が除染の効果と推定される。
(つづく)
<プロフィール>
千葉 茂樹(ちば・しげき)
福島自然環境研究室代表。1958年生まれ。岩手県一関市出身。専門は火山地質学。磐梯山の研究、原発事故関係の論文も。
この他に、「富士山、可視北端の福島県からの姿」などの多数の論文がある。2011年3月の福島第一原発事故の際に福島市渡利に居住していたことから専門外の放射性物質による汚染の研究を始め、現在も継続中である。関連キーワード
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