2024年11月23日( 土 )

【東日本大震災から10年(2)】福島第一原発事故から10年、放射性物質汚染の現状 公的除染終了後の問題(後)

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福島自然環境研究室 千葉 茂樹

 もうすぐ、3・11震災・原発事故から10年を迎える。この原稿では、東京電力福島第一原子力発電所事故(以下、原発事故)による放射性物質の汚染がいまだに続く福島県中通りの現状を、私の徒歩の調査から報告する。また、後半には「2021年2月13日の地震で発生した問題」も書かせていただいた。

2月13日の地震で原子炉格納容器の亀裂が拡大

 今年2月13日午後11時8分ごろ、福島県沖を震源とするM7.3の地震が発生した(2021年福島県沖地震)。福島県の国見町・相馬市・新地町、宮城県の蔵王町では震度6強を記録した。福島第一原発のある双葉町・大熊町は震度6弱と報じられた。

 話は遡って福島第一原発は、11年3月11日の東北地方太平洋沖地震による影響で炉心溶融(メルトダウン)を起こし、現在も廃炉作業が進められている。原子炉について簡単に書く。原子炉がある建物は三重構造になっている。外側に原子炉「建屋」があり、その内側に原子炉「格納容器」があり、そのさらに内側すなわち原子炉の中心部に原子炉「圧力容器」がある。

 圧力容器内には核燃料があったが、地震による大きな揺れと津波によって電気の供給が途絶え、注水ポンプが動かなくなり、核燃料が自らの熱で溶け落ち(メルトダウン)、圧力容器の底へ落ちた。溶けた核燃料は圧力容器の底を突き破り、格納容器の底へと落ちて溜まった(核燃料デブリ)。この状態の格納容器に水が注入されて、絶えず冷却されている。当然、汚染水も発生し続けている。なお1・3・4号機の建屋は、核燃料から生じた水素で水素爆発が起きて破壊された。

千葉 茂樹 氏

 2月13日の地震で福島第一原発がどのような影響を受けたのか。ここからの話は東京電力の発表に私の想像を交えて描く。原発事故の後始末がどうなるかは誰もが未経験で、予測できないのである――。2月13日の地震によって、格納容器にある亀裂はいっそう拡大したようである。この亀裂によって冷却水の漏れがより進んでいるらしく、格納容器にある冷却水の水位が低下している。つまり、風呂の浴槽の底にある栓が抜けた状態で、蛇口から水を注入している状態だ。しかも浴槽の底には常に熱を発し続ける核燃料がある。浴槽に空いた穴は今回の地震でより大きくなり、浴槽の水位を保つために蛇口をさらに開けて入れる水の量を増やしているのである。今後、格納容器の亀裂がさらに大きくなったらどうなるのだろうか。実際に、3月5日には冷却水の注入量が増加した。

 また、11年3月の原発事故直後には水素爆発が起こった。その再爆発防止のため、格納容器に「窒素ガス」が注入されているが、その窒素ガスも大量に漏れ出しているとのことだ。こんな現状では、先行きが心配される。

 核燃料は冷却し続けなければならない。冷却ができなくなると核燃料デブリは自ら発する熱で高温になり溶ける。この状態で液体の水に触れると、水は一瞬にして水蒸気になり体積が急増する。こうなると放射性物質は水蒸気と一緒に大量に放出される。囲炉裏や焚火の残り火に水をかけると灰かぐらが舞い上がることを想像していただきたい。最悪の場合は大爆発を起こし(水蒸気爆発)、非常に広範囲にわたって放射性物質が濃厚に飛び散り、汚染される。

 以上のようなシナリオが考えられるため、格納容器にはとにかく大量の水を注入し続けなければならない。逆に考えると、冷却水の大量注入によって放射性物質の汚染水がさらに増加することが考えられる。現在、原発敷地内には汚染水タンクが立ち並び、その処理方法が問題となっている。多方面で今後の動向を注視しなければならない。最近地震が頻発しているので、そのことも気がかりである。

薄れる、原発事故に対する関心~現実からの逃避の先に

 原発事故の起きた福島県ですら、人々の原発事故への関心が薄れてきている。さらに最近では、原発事故の話をすると嫌がられることも多くなった。

 私は次のように思う。「現実から逃避しても問題は解決しない。問題を解決するには現実を直視し、最善策を考えるしか方法はない」のだと。嘆いているだけでは問題は解決しないのだ。私の論文などは、京都大学吉田英生教授(宇宙工学)のHP「wattandedison.com」にすべて掲載していただいている。また、検索エンジンなどでは「千葉茂樹・原発事故」でもヒットする。興味のある方は、ぜひご覧いただきたい。


<プロフィール>
千葉 茂樹
(ちば・しげき)
福島自然環境研究室代表。1958年生まれ。岩手県一関市出身。専門は火山地質学。磐梯山の研究、原発事故関係の論文も。
この他に、「富士山、可視北端の福島県からの姿」などの多数の論文がある。2011年3月の福島第一原発事故の際に福島市渡利に居住していたことから専門外の放射性物質による汚染の研究を始め、現在も継続中である。

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