【企業研究】鹿島の創業家物語 女系家族への大政奉還は「ジ・エンド」(中)
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春は上場企業のトップ交代の季節である。注目されるのがスーパーゼネコンの鹿島。重要な意志決定や幹部人事で大きな影響力をもつのは、本家の鹿島家、分家の渥美家、石川家、平泉家から成る創業一族だ。先日発表されたトップ人事は、今年も創業家への「大政奉還」を見送った。5代続けて非同族出身者が社長を務めることになる。そこには、本家と分家の確執がありそうだ。
超高層ビル時代の幕を開けた守之助・卯女夫妻
1927年、守之助氏は卯女氏と結婚して鹿島家の婿養子に入った。22年に鹿島精一氏が船中で出会ってから、意中の人と定めて守之助氏を口説き続けたわけだ。それはまさに長期戦略といってもいい婿取り大作戦である。
結婚後も、守之助氏は鹿島へ出社しなかった。約8年もの間、衆議院選挙に立候補して落選したり、学位論文を執筆して法学博士になったりと、建設業とはまったく関係のない生活を送った。
38年に精一氏が会長に退き、守之助氏が4代目社長に就任した。博士号を持つ建設業者の社長が日本で初めて誕生した。そして、戦後の47年に鹿島組の社名を鹿島建設(株)に変更した。守之助氏は参議院議員として政界に進出。57年には国務大臣就任を機に、会長に退き、妻の卯女氏が5代目社長に就いた。大手ゼネコンでは初の女性社長だった。
卯女氏が社長時代の61年、東証・大証に上場。65年には日本初の超高層ビルとなる霞が関ビルを着工(竣工は68年)し、超高層ビル時代の幕を開けた。
守之助氏と卯女氏との間には、1男3女が誕生。鹿島家としては昭一氏という嫡男に恵まれた。だが、守之助氏は岩蔵氏や精一氏以上に熱心に、優秀な婿取り作戦を展開した。
3人の娘の婿取り大作戦
長女の伊都子氏の婿は渥美健夫氏。東大法学部政治学科を卒業後、商工省(後の通産省)に入り、経済安定本部にいた通産官僚だ。役人を続けさせることを条件に結婚させた。「通産省はあなたがいなくても困らないが、鹿島はあなたを必要としている」。この殺し文句で、健夫氏は鹿島入りした。健夫氏は、卯女氏の後任として66年に6代目社長に就いた。健夫氏の長男が、副社長・直紀氏である。
二女のよし子氏は、初代経団連会長・石川一郎氏の6男である石川六郎氏に嫁いだ。東大工学部土木科を卒業し、運輸省に勤めた後、国鉄に転じた。国鉄にいるとき、結婚話が持ち込まれた。六郎氏は即座に断った。工事を発注する官庁にいる自分が発注する側の大手建設会社の娘と結婚すれば、役人生活に汚点を残すと考えたからだ。
それから3年間、守之助氏はあらゆる伝手を通じて、六郎氏に働きかけた。社業に関与させないからと、いつもの同じ手形を切って娘婿に迎えた。六郎氏は健夫氏の後任として78年、7代目社長に就いた。六郎氏の長男が副社長・洋氏だ。
三女の三枝子氏は、守之助氏の後輩の外交官・平泉渉氏を婿にした。東大出の外務官僚である渉氏は戦前、皇国史観を説いた国粋主義の歴史学者・平泉澄氏の息子である。守之助氏自身は参議院議員となったが、その後継にしたのが渉氏で、婿にした後、政界入りさせた。渉氏の長男が取締役・信之氏だ。
守之助氏と卯女氏の嫡男・昭一氏は、六郎氏の後任として84年、8代目社長に就いた。東大工学部建築学科卒業後、米ハーバード大大学院で建築学を学び、社長就任以前から建築家として活躍していた。鹿島家の婿取り作戦は一段落した。
直紀の社長昇格をめぐり、本家と分家が対立
時代は移る。昭一氏の後任として90年、9代目社長に建設省OBの宮崎明氏が就いた。初の非同族社長であった。96年、10代目社長に梅田貞夫氏が就任した。京都大学大学院工学研究科を卒業して鹿島に入社。初の生え抜き社長の誕生である。
一族の新しい世代が後継社長レースに登場してきた。同族継承に対する各家の思惑には、温度差がある。それを象徴する出来事が2005年の鹿島の社長人事である。非同族社長が2代続いたことから、創業家への大政奉還が確実とみられた。
前年から建設業界紙などでは、一族の渥美直紀・副社長の社長就任が既成事実として報じられた。直紀氏は6代目社長・健夫氏の長男。慶應義塾大学法学部卒。50歳の社長適齢期を迎え、「渥美直紀社長、中村満義筆頭副社長」という新体制の人事まで出回っていた。
ところが、蓋を開けてみると、中村満義氏が社長に就く人事だ。「えっ、社長は渥美さんじゃないの」。建設業界に思わず驚きの声が上がった。記者会見では梅田社長に対し、渥美氏を社長に選ばなかった理由に関する質問が集中したが、「まだ若いし」と歯切れが悪かった。
予想外の人事にゼネコン業界内では、「鹿島本家と渥美家、石川家の鹿島一族に異変が起きたのでは」とささやかれた。後日、真相が明らかになる。直紀氏の夫人は中曽根康弘元首相の二女・美恵子氏。鹿島家と政界を結ぶ閨閥(けいばつ)づくりの結晶であった。
石川六郎氏は直紀氏への社長継承を迫ったが、土壇場で大逆転。非同族の中村満義専務の社長昇格が決まった。鹿島本家の取締役相談役・鹿島昭一氏が、同族経営にこだわらない姿勢を見せたためだといわれている。六郎氏も最後は折れた。昭一氏には、分家に社長を継がせる気はなかったということだ。
(つづく)
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