【創業30周年】(株)高太~「人との出会いは宝物」高尾平八郎会長、自らの半生を語る(5)
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建設資材販売などを手がける(株)高太(佐賀市)は今年で設立30周年を迎えた。同社の高尾平八郎会長に自らの半生を振り返ってもらった。
仕事は充実も、家族には「苦労をかけた」
水を得た魚のようになり、毎日営業が楽しかったと当時を振り返る高尾氏。私生活では、長男と次女が誕生して1男2女の子宝に恵まれた。土曜日や休日の前夜は、気の合う(株)ジェイ・エム・ディ設計の重住氏とスナック「ル、ル、ル」で午前1時ごろまで飲んでいた。
「子どもたちの面倒も見ずに妻には苦労をかけた」と語る高尾氏。近くに「ロイヤルホスト」がオープンしたが、自身の交際費が多くて余裕がないため、家族を連れていけずに申し訳ないと思っていたそうだ。生活費が足りないとき、妻が実家の母から借りていたことを後日知った。
業績が認められて課長職となったことを実家の父母に報告したところ、とても喜んでくれたという。後日、日田の実家に帰ると、親戚のおばちゃんから「平八郎さん、課長さんになったそうだね」と言われてびっくり。母はよほどうれしかったのか、息子の出世を周囲に自慢していたようだ。月に1度は、妻の実家で夕食をご馳走になっていた。日田の実家では帰りにお米や野菜をたくさんもらった。親の子どもを思う気持ちがひしひしと感じたそうだ。
福岡市南区に長丘小学校が開校し、長女と長男が通学した。後に次女が誕生。同校校区で校区町民運動会が計画され、高尾氏は大池2丁目の代表として運動会の立ち上げを手伝うこととなった。
プログラムの作成、参加者への呼びかけ、設営など大変だったが、小学校の先生たちにも協力してもらい、盛大に終えることができた。そのおかげで地域住民たちと仲良くなった。四国の公安局長を務めた方が近所に住んでいて、「高尾さんが学校や地域のお世話をすると、子どもさんは絶対悪いことはしないよ」と助言してくれたこともあった。
町内のお世話をしてくれていた河村さんという人がいた。河村さんは50代。西日本ビルの役員で、町内会の打ち合わせや会議が終わると自宅でお酒を振舞ってくれた。
河村さんは由布院に1泊のゴルフ会のお世話をしてくれた。そこには市会議員・山崎広太郎氏の姿もあった。高尾氏は「いつの日か自分も、町内でお世話ができる立場になりたいと思っていた」と当時を振り返る。
(つづく)
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