【創業30周年】(株)高太~「人との出会いは宝物」高尾平八郎会長、自らの半生を語る(9)
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建設資材販売などを手がける(株)高太(佐賀市)は今年で設立30周年を迎えた。同社の高尾平八郎会長に自らの半生を振り返ってもらった。
武雄川災害復旧工事、10工区のうち9工区受注
1991年4月ごろから武雄川、松浦川、牛津川の災害復旧のため、護岸基礎鋼矢板と仮設鋼矢板がそれぞれ数千トン必要になった。武雄河川事務所の技術副所長が同郷(日田)出身の上杉氏だったので、緊急対応の相談は受けていた。
飯田産業本社と同社の佐賀営業所に勤務していた時代、川崎製鉄の鋼矢板、鋼管杭を佐賀県内に納入していた。当時、川崎製鉄にも国交省OBが勤務していたので、上杉氏がそのOBに「今後鋼矢板が要るので高太に出荷できるか」と聞いてくれたそうだ。だが、「高尾さんにはお世話になっていないので出荷はしない」との返事があったという。
また、新日本製鉄にいた須摩氏は明治大学卒で、柔道の元アジア学生チャンピオンで100kg以上の巨体だった。彼は鳥栖市に住んでいて、佐賀市内の料理屋や花見でよく一緒に飲んだ仲だったのだが、これまた「高太には出荷しない」という。
高尾氏は、会社の看板がなくなると人は冷たいものだと痛感。どうしようかと頭を悩ませていたところ、三井物産が住友金属工業と交渉の末、全面的に応援してくれることが決まった。
武雄川災害復旧工事は地元建設会社10社が10工区を施工。後に倒産した建設会社からの受注を除き、9工区を受注した。基礎矢板を住友金属に数千トン発注し、仮締切リース矢板は太洋に。復旧工事の本格的な手伝いが始まった。
大型水門の発注も始まり、準大手の五洋建設、大本組、アイサワ工業などから2年に1度受注もあり、タイロッド鋼矢板リース、基礎鋼矢板、可とう矢板、可とう継手などの契約のため、高尾氏は何度も福岡や岡山まで足を運んだ。
高橋水門は大成建設が受注。営業部長に挨拶をと思い、大成建設福岡支店にうかがうと、出てきたのは、飯田産業に入社したてのころ、松原ダムの現場でセメントの受け入れを担当していた永倉氏だった。25年ぶりの再会である。福岡支店の営業部長として活躍していた彼は、高橋水門の現場の所長さんを紹介してくれた。
鹿島建設の赤坂水門、鴻池組の古川水門、大分の佐藤組など県外大手企業が乗り込んでの災害復旧工事。松浦川、牛津川は発注工事が多かったため、地元だけでは対応できず、久留米地区の井樋建設、広瀬組、古賀組、才田組などが応援に駆け付けた。
その後、訪問して基礎矢板リース料などの契約を締結。現在、高太の工事部責任者の前田氏に入社してほしいとお願いしてきてもらった結果、営業は3人体制となり、事務員も1人増員することができた。また、高太設立の1年後に事務所を移転した。
嘉瀬川ダムの道路工事が着工し、高架橋の深礎工事に使用するライナプレート、鉄筋を受注。佐賀河川事務所では巨勢川調整池工事、佐賀県鳥栖市土木事務所では天建寺橋架け替え工事の仮設橋1,500トンを受注。大型プロジェクトに恵まれた。
六角川の漁業権をもつ日本愛国党佐賀県本部長と知り合い、毎年11月15日から2月10日までの間の休日は、朝からイノシシの罠かけの手伝いをした。
罠にかかったイノシシは、人間が近づくと立ち上がって向かってくる。足にかかっているワイヤーが切れかかっていないかを確認して、硬い木でイノシシの鼻、眉間を叩く。1頭40~50kgクラスは1度で倒れるが、100kg近いイノシシは、何度も向かってくるという。まさに命がけの戦いで、高尾氏は多いときは1シーズンに30頭ほど仕留めたという。イノシシは本部長の自宅で解体した。本部長が79歳で亡くなるまでの30年近い付き合いだった。
佐賀県有明沿岸道路工事では、六角川橋の工事用仮設橋を設置。多量の覆鋼板、桁材、主持杭が必要で、右岸側は太洋、左岸側はMOテック、川のなかはヒロセで納入。左岸側のP1橋脚、仮設材と鋼管矢板(新日鉄)を納品した。トータルで1万トン近くになり、高太創業以来の大規模な仕事だった。
5年前にジオスターの藤井氏を迎え、新商品の売上が増加。城原川ダム、牛津川調整池、六角川水系の排水水門、ポンプ場建設が計画されているため、今後、コンサルと役所営業を主体に高太としてお手伝いしていくと高尾氏は語る。
(つづく)
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