インドネシア・パーム油生産農園視察(ボルネオ直行ルポ)(6)繰り広げられる情報戦
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2000年前後からインドネシアが生産量トップに
現地で出会った閣下(以下、登場人物は仮名)に、パーム油市場の動向について分析してもらった。
インドネシアでは昔から料理に食料油としてパーム油を利用してきた。インドネシア料理の特色は揚げ物の多さだ。そこにパーム油は欠かせない存在だった。30年ほど前から食用油や化粧品などの原料に使われ始めたことで、パーム油の需要が一挙に拡大。これに追い討ちをかけたのが、10年ほど前からパーム油が燃料用として注目されるようになったことだ。バイオマス発電燃料として、世界中から求められるようになった。
インドネシアとマレーシアのパーム油生産量の推移は、1998年から拡大基調になっている。ゴムの木とパームの木の育成方法や気象条件は同じ。このため、世界最大のゴム原料生産地のマレーシアがパーム油生産でも当初世界一であった。両国ともに生産量は毎年伸びていたが、インドネシアの伸びが顕著となり、2006~10年を境にトップが入れ替わった。閣下は次のように説明する。
「インドネシア政府はパーム油を戦略商品に指定し、この産業で外貨稼ぎに注力しようと決定したのは2000年前後。だから政府はこの分野への投資をサポートしてきた。インドネシアはマレーシアよりも国土が広く、作付面積も上回るようになった。トップに躍り出たのは自然な成り行きであったといえる。パーム油ブームとなり、インド、アメリカ、中国といった消費大国へ物が流れていくことは明らかだ。日本の商社は、日本への出荷量が減ることを見越せないのだろうか。情けない話である」。
パーム油確保に躍起の商社
ジャカルタ滞在中の今月10日から12日にかけて、三重氏は電話で何度もやり取りをしていた。大半はパーム油を取り扱っている商社。あらゆる策を弄しても、パーム油を確保したいと躍起になっているようだ。
三重氏はこれまでの経緯について、次のように説明する。
「我々がパーム農園を取得したと報告しても、彼らはまったく信用せず、相手にしてもらえなかった。時間が経過し、情報が出回るにつれて、彼らはそれが事実と認識し始め、今回、私がインドネシアに飛び立つと聞いて、目の色を変えて、パーム油をくれと騒ぎ出した。彼らは破廉恥という言葉を知らないのだろうか」。
「まず中堅商社が躍起になった。最初は市場の半値でしか買わないという高飛車な態度だった。『馬鹿にするな』と拒絶すると、次は年間300億円で買いたいと泣きを入れてきた。そして、『保証金を数十億円積めばよいか』と低姿勢に変身した。さらに呆れたことに『出資させてほしい』との要請を受けた」。
筆者は、三重氏が出資を受ける必要がないことを理解している。話を聞いて、商社が破廉恥であることはともかく、高飛車な姿勢で交渉が成立すると錯覚していることに言葉も出なかった。
なぜ、彼らはパーム油の確保に必死になるのか?パーム油事業が軌道に乗り、拡大できれば大きな利益を会社にもたらし、事業部のトップは役員や社長に出世できる。その結果、所属のメンバーたちも同時に昇格できるという欲に駆られてのことだろう。中堅商社の格も地に落ちたものである。
三重氏の横にいて4回の電話案件の話を聞いた。相手は東京の商社およびパーム油発電事業を検討している事業主。問い合わせは同じような内容である。
「本当に市場の半値で売るのか?」というものだ。三重氏は「そんな価格で売れるわけがない。それに、あなたに回答する筋合いはない」と厳しい口調で電話を切っていた。筆者も、中堅商社を相手にしても仕方がないという三重氏の立場を支持する。
三重氏の周囲でパーム油をめぐる情報戦が繰り広げられていることは、業界全体が大きく動いている証である。
(つづく)
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