2024年12月23日( 月 )

福島原発事故、アルプス処理水を海洋放出して良いのか~報道では語られない諸問題と私の提案(6)

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福島自然環境研究室 千葉 茂樹

最後に~原発事故直後の原子力災害現地対策本部

福島自然環境研究室 千葉 茂樹 氏
福島自然環境研究室 千葉 茂樹 氏

 筆者は、今回の記事で政府の対応の悪さを指摘してきた。今まで伏せてきたが、原発事故から10年が経ったため、原発事故直後に政府関係者と関わりがあったことを述べたい。

 原発事故当時(2011年)、筆者は福島市渡利字岩崎町に居住していた。放射性物質汚染のあまりの酷さに驚嘆し、11年6月10日過ぎに放射線測定器を何とか購入し、調査を始めた(詳細はこちら)。

 同年6月下旬、原子力災害現地対策本部長・田嶋要氏とその秘書から、電話とメールで「調査データの提供」の要請があった。田嶋氏らの手元には「原発事故の放射性物質の汚染状況の資料がまったくない」ようで、困り果てた様子だった。そこで、筆者は調査のデータを随時提供したが、微妙な問題であるため、「調査者の名前は出さないこと」との条件付きだった。その後、原子力災害現地対策本部では、筆者の調査データを基に除染が手探りで行われた。

 当時の秘書からメールには「千葉さんのような詳細なデータがもっと欲しい。そして、そのデータは政府として公表すべきと考えています。ただし、残念ながら千葉さんのデータ以外にはありません」との内容が書かれていた。

 同年7月25日、筆者は福島県庁内にあった「原子力災害現地対策本部」に出向き、田嶋氏と会談し、「第1案:渡利の住民の即時避難。第2案:渡利の住民の一時退避、その間の自衛隊投入による厳重な除染」を提案した(この提案は、田嶋氏の8月中旬の退任で実現しなかった)。筆者は田嶋氏から「突然、担当大臣にされて、何が何だかわからない。誰か対応を教えてほしい」という印象を受けた。

 会談が終了して本部長室から退出し、原子力災害現地対策本部に戻ると、職員(官僚または県職員)数名が「こんなデータをもって来やがって、俺らの仕事が増えるだけだ。余計なことをしやがって」と話していた。

 担当大臣として急遽、福島県に派遣された田嶋氏の秘書と部下の職員には軋轢があり、田嶋氏に汚染状況のデータがまったく来ていないことがよくわかった。それで困り果てた田嶋氏が、藁にもすがる思いで筆者に頼ってきたわけだ。状況から見ても、当時の放射線の専門家は、田嶋氏に情報提供をしていなかったようだ。

 筆者は、上記の実態を知って「今は、いがみ合っている状態ではない。大局的にどう対処すべきかを考えるべきである」と落胆し、原発事故という未曽有の大問題であるにもかかわらず、職員のあの対応はいかがなものかとも感じた。政府・東電・関係機関の対応を見ていると、統一した歩みとは到底思えない。

 最後に、田嶋氏と秘書の行動や対応は、現在の政府・東電の体質より良かったと感じる。政権運営に不慣れで(民主党政権)、能力的な問題はあったかもしれないが、少なくとも彼らは「正直」であった。わからないことを「わからない」と言い、できないことを「できない」という正直さこそ大切だ。

 正直であれば、いろいろな人々が知恵を出しあって助けてくれるはずだ。「不都合なことを隠したり『誰かのせい』にしたり、出来るはずもないことを『さも出来るように言う』現在の政府や東電」よりは、よっぽど良かったと筆者は感じる。

(了)


<プロフィール>
千葉 茂樹
(ちば・しげき)
福島自然環境研究室代表。1958年生まれ。岩手県一関市出身。専門は火山地質学。2011年3月の福島第1原発事故の際、福島市渡利に居住していたことから、専門外の放射性物質による汚染の研究を始め、現在も継続している。

データ・マックスの記事
 「徒歩の調査」から見た福島第一原発事故 被曝地からの報告
 福島第一原発事故による放射性物質汚染の実態~2019年、福島県二本松市の汚染の現状と黒い土
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 【東日本大震災から10年(2)】福島第一原発事故から10年、放射性物質汚染の現状 公的除染終了後の問題

著者の論文などは、京都大学名誉教授吉田英生氏のHPに掲載されている。
 原発事故関係の論文
 磐梯山関係の論文

この他に、「富士山、可視北端の福島県からの姿」などの多数の論文がある。

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