園村剛二サンコーホールディングス前社長、経営者を超越した思想家(3)無私の心構え
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半世紀近く福岡のゼネコンの経営者を眺めてきた。しかし、園村剛二氏のような経営者にはお目にかかったことがない。性格が潔い、淡白、気品があるというレベルではないのだ。園村氏の最終的な決断は、経営者というレベルを超えて思想家のレベルに達したと評価できる。福岡にとどまらず、日本全体を俯瞰しても、ゼネコンの経営者で園村氏のように思想家の水準にまで達した逸材は管見の限り知らない。
すべてにこだわりをもち、すぐに行動
園村氏の風貌は温厚そのもの。しかし、その決断力とすぐに実行に移す姿を目撃すると、イメージとの落差に驚かされる。常にこだわりをもち、思索し続けている。信頼できる相手から助言を受け、共感すると即座に行動に移す。筆者が目撃した事例をいくつか紹介する。
かつて園村氏が「業容拡大基調に入ったため、人材が必要となった」と漏らした時に「近々、(株)さとうベネックが倒産しますよ。人材の流出が始まります」と伝えると、スイッチが入ったようだった。まずは、サンコービルドで取締役に就いて期待通りの実績を積み上げた徳森宏氏をスカウト。同氏は前職のさとうベネックでも人望が厚く、そのおかげで、ほかの人もいもづる式に入社させることができた。
極め付けは前号で紹介した通り、東京支店に実質基盤を継承したこと。園村氏の口説き文句は「あなたのお力をぜひ、当社で活用させてください」。そう言われた相手は「この方に身を預けてみよう」となるそうだ(徳森氏)。
園村氏が「土木会社がほしい」「我が社はもともと、鉱山トンネル堀の土木からスタートした会社」とつぶやくと、筆者は「そうですね。福岡でいえば飯田建設(株)がピッタリではないかと思います。官公庁実績があり社員も真面目。経営陣の世代交代の時期でもあります」と他人事のように話した。そして、玉手箱を開けたときのごとく驚いた。園村氏は6カ月もしないうちに飯田建設のM&Aを実行したのだ。ピンと感じたものがあったのだろう。もちろん、メインバンクからも情報が流れていたものと思われる。
持株会社設立の経緯
2013年の秋ごろだったと記憶する。筆者は福岡ゼネコン業界の一族経営、社員継承など経営に関することを考えていた。「サンコービルドの支配者は誰になるのか?親会社の三井鉱山が潰れたとなると実質的な支配権が明確ではない」ことに気づいた。
さっそく、当時の園村社長に「会社のオーナー役は誰なのでしょうか?」と質問を投げかけた。園村氏は明確には答えてくれなかったが、筆者は「何か秘策があるな」と察知した。その回答は数カ月後に返ってきた。14年1月のことであった。「持株会社を設立することにした」という。
サンコービルドの株主構成は現在、社員持株会が29%、持株会社サンコーホールディングス(株)が71%(多少変動あり)。持株会社の下に飯田建設、サンコーケアライフ(株)、(株)九州ビルシステム、サンコー開発(株)がある。子会社すべてにおいて社員持株会制度を敷いている。
持株会社の資本金は1,000万円。21年3月時点のサンコーホールディングス取締役の構成は、監査役を含む総勢8名。サンコービルド取締役や関連会社社長の8名が株主として平等に125万円ずつ出資している。この株主構成からすると、園村氏がオーナーということはあり得ない。辣腕が発揮できるのはあくまでも職責あってこそ。引退すればただのOBに過ぎなくなる。
筆者の質問が園村氏にどの程度影響したのかは不明。半年の間に「会社は社員のもの」という理念の裏付けとなる組織ルールを確立できたのは、無私の心構えがあってこそといえる。
(つづく)
<プロフィール>
園村 剛二(そのむら ごうじ)
1950年6月生まれ、福岡県田川市出身。近畿大学卒、地場建設会社を経て三鉱建設工業(現・サンコービルド)に入社。建設部長、大牟田支店長、本社営業部長、営業本部長、常務取締役を経て09年4月に代表取締役社長に就任。14年2月にサンコーホールディングスを設立し代表取締役に就任、16年4月にサンコービルドの代表取締役会長に就任。21年3月に2社の代表取締役を定年で引退する。関連キーワード
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