2024年12月23日( 月 )

菅内閣「命より金」なら総選挙で断罪

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 NetIB-Newsでは、政治経済学者の植草一秀氏のブログ記事を抜粋して紹介する。今回は、「国民は、菅内閣が国民の命と五輪のどちらを優先するのかをしっかりと見極める必要がある」と訴えた5月26日付の記事を紹介する。

米国務省は日本におけるコロナ感染拡大深刻化を踏まえて5月24日、日本への渡航警戒を4段階のうち最も厳しいレベル4の「渡航中止・退避勧告」に引き上げた。
米国疫病予防管理センター(CDC)は「渡航者は日本へのすべての旅行を避けるべき」と通告した。

米国のバイデン大統領は東京五輪開催を支援していない。
東京五輪開催に向けての菅首相の努力を支持しているだけ。

しかし、IOCは五輪開催強行の姿勢を崩さない。
日本政府も米国から日本への渡航が不可能ではないと言い張る。
「命より金」
が鮮明だ。

菅首相は5月10日の国会審議で
「国民の命が最優先」
であって
「五輪ファーストでない」
と色をなして反論した。

「五輪ファースト」でなく「国民の命最優先」なら、東京五輪を中止するしかない。
なぜなら、五輪開催が日本国民の命を脅かす可能性が高いからだ。
米国の日本への渡航中止勧告は日本のコロナ情勢が生命の危険に結びつくことを明示するもの。

IOCのコーツ調整委員長は
「東京が緊急事態宣言下であっても東京五輪開催を強行する」
と述べた。

IOCのバッハ会長は
「アスリートの夢を実現するには犠牲が必要」
と述べた。

バッハ会長は「犠牲」は「日本国民の犠牲」ではないと言い訳しているが通用しない。

東京五輪は日本で実施される。
日本で開かれるイベントの実施可否判断の権限は日本にある。
「日本のことは日本が決める」
これが独立国の基本。

「日本国民にどのような犠牲が生まれようと五輪開催を強行する」の暴言をIOC関係者に許してはならない。
日本の独立性にかかわる問題だ。

菅首相がいまなおコメントを発しない。
日本が蹂躙されている。

日本国首相としてIOC幹部暴言を糾弾することは当然の対応。
黙っていることはIOC幹部発言黙認を意味する。
日本も日本国民もIOCになめられている。

IOCは単なる銭ゲバ団体。

「威力によって自己の経済的利益を追求する集団」
であり「反社会的勢力」である。
反社会的勢力の暴言、暴走を放任するなら、日本はもはや無法地帯だ。
日本全国でIOC排除運動を展開する必要がある。

五輪に向けて努力を重ねてきた選手にとっては残念な事態だが、コロナで残念な思いをしているのはアスリートだけでない。
卒業式がなくなり、入学式がなくなり、遠足がなくなり、修学旅行がなくなり、運動会がなくなり、残念な思いをしている人が多数存在する。

経営が立ち行かなくなる事業者が多数存在する。
コロナで命を奪われた人も多数存在する。
かけがえのない人をコロナで奪われた人もたくさんいる。

菅コロナ大失政によって、日本はコロナ収束に失敗した。
現下の最大の警戒要因は変異株流入。
菅コロナ大失政でN501Yが流入し、L452Rの流入阻止にも失敗した。
東京五輪開催は世界から新たな変異株を日本に流入させることになる。

政府が賢明なら「国民の命最優先」で進むべきことは当然。
日本政府がIOCと手を携えて「命より金」で五輪に突き進むなら、日本国民が暴動を引き起こしても責められない。

IOCはついに表向きの仮面さえもかなぐり捨てた。
「平和の祭典」
「夢の実現」
の言葉がこれほど空々しく響くことはない。

「オリンピズムの根本原則」など「ウソの塊」に過ぎないことが明白になった。
五輪開催で巨大な金をせしめること。
これしか考えていない。

「ぼったくり男爵」
というのは、単に自分たちの金儲けに奔走するだけでなく、各国の国民から金を巻き上げていることを意味する。

五輪開催のために兆円単位の血税が投入されている。
日本国民の血と汗の結晶の税金が兆円単位で投入されている。
その巨大な犠牲の上に商業イベントである五輪が成り立っている。

五輪を開催することで巨大なテレビ放映権料がIOCに入る。
日本のスポーツ団体がIOCに何もものをいえないのは、IOCが獲得する金の一部が各スポーツ団体に「分配金」として配分されるからだ。
要するに、国民の犠牲の上にIOCに莫大な金が流れ込み、その金をせしめる者が存在するということなのだ。

五輪は商業イベントだから、国費を投入すべきでない。
民間事業として開催されればそれでよい。
五輪だけを特別扱いする理由がない。

各国でそのとき限りの巨大な設備を構築して巨大なゴミを生み出すことも、いまの時代にふさわしくない。

4年に一度、同じ場所で五輪を開催するのが良いのではないか。
恒久的に活用する施設なら無駄も生じない。
地球環境が大事だというときに、大量生産、大量消費、大量廃棄は時代錯誤だ。

営利的な商業イベントなのだから、生命の危険が迫るなかで開催すべきものでもない。
IOC関係者を大名のように取り扱うことにも正当性がまったくない。

「威力をもって自己の経済的利益を追求する集団」

「反社会的勢力」
であって、この「反社会的勢力」幹部に利益供与、便宜供与することも正当でない。

今回のことで、「IOCの正体」「五輪の正体」が誰の目にもくっきりと浮かび上がった。
これは大きな収穫だ。
IOCはすべてを失うことになるだろう。

「命より金」を追求するのがIOCなら、その舞台で活動するアスリートに対しても不信の目が注がれてしまうのはやむを得ないこと。

アスリートもスポーツ団体、IOCに対して「正論」を述べるべきだろう。
「正論」を述べれば、その本人に不利益がもたらされる可能性があるから、自分の身が安泰である人を除けば、なかなか「正論」を示すことができないのは理解できる。

従って、この状況下で、IOCの横暴、組織委員会の横暴に対して、「正論」を示す者は賞賛に値する。
日本のオリンピック委員会(JOC)理事である山口香氏が正論を提示し続けていることにすべての人が賞賛の声を送るべきだ。

「命より金」のJOC、五輪組織委員会に対して、「金よりも国民の幸福を追求すべきだ」と主張し続ける山口香氏の存在は光り輝く。

森喜朗氏が五輪組織委員会会長辞任に追い込まれ、組織委員会は女性理事を増やしたが、山口香氏を組織委理事に起用しなかった。
かたちだけを取り繕う五輪組織委の正体が丸見えだ。

日本の主権者国民は菅内閣が国民の命と五輪のどちらを優先するのかをしっかりと見極める必要がある。
その見極めに基づいて、次の衆院総選挙での投票行動を決めることが何よりも重要。
選挙での投票が日本政府の在り方を決める決定打になる。

国民をなめる行動がどのような結果につながるのかを彼らに正しく伝えることが肝要だ。


▼関連リンク
植草一秀の『知られざる真実』

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