【コロナで明暗企業】大塚家具と匠大塚~大塚家具はヤマダの完全子会社(後)
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(株)大塚家具は8月30日付で東証ジャスダックを上場廃止になり、9月1日付で家電大手(株)ヤマダホールディングス(以下、ヤマダHD)の完全子会社となる。経営方針をめぐる創業家の対立が注目を集め、大塚久美子氏が父親・勝久氏を追い出すかたちで経営権を握ったが、業績は悪化。ヤマダHDの傘下に入り、創業家と大塚家具のとの資本関係はなくなった。それを見届けた父・勝久氏は、自ら立ち上げた匠大塚の出店攻勢に乗り出した。
百貨店出店は大塚家具ブランドを確立する原点だった
大塚勝久氏が率いていた大塚家具は1990年代後半、百貨店の出店で名を上げた。起点となったのが三越新宿店(東京・新宿)であり、三越横浜店(横浜市)、多摩そごう店(東京都多摩市)などに陣地を広げた。大塚家具は卸を通さず、国内外のメーカーから直接仕入れる手法を駆使して、高級家具を「割安」にした。家具業界の革命児だった。
しかし、(株)三越は(株)伊勢丹と経営統合、経営破綻した(株)そごうは(株)西武百貨店と経営統合。大塚家具と三越、そごうとの蜜月関係は終わった。
ここにきて、匠大塚は東急百貨店、東武百貨店へ出店した。勝久氏は、久美子氏とは喧嘩別れしたとはいえ、子どもたちののなかで、久美子氏を溺愛していた。匠大塚を立ち上げたころには、「(大塚家具と)バッティングしないように」と娘を気遣って、出店を控えていた。
大塚家具がヤマダHDの傘下に組み込まれたことで、大塚家具に気を遣う必要がなくなったため、出店のアクセルを踏み込んだ。得意なのは、不景気になって撤退した業種の跡や地域に出店することだ。なかでも百貨店への出店は、ブランドを高めるという成功体験に裏打ちされている。
1990年代から始まった百貨店不況はインバウンド需要が盛り上がった2010年代に落ち着いたかのように見えたが、新型コロナの感染拡大で再び危機的な状況にある。百貨店のスペースは今後も空きが増え、匠大塚の得意な高級家具を取り込めると判断したのだろう。
匠大塚は非上場会社のため業績は非開示であるが、百貨店に一気に出店したところを見ると、高級家具の業績は悪くないようだ。
桐たんすの街・春日部の発祥の大塚家具と島忠が他社に飲み込まれる
埼玉県春日部市は家具の歴史をもつ街だ。静岡県藤枝市、新潟県加茂市と並んで、桐たんすの三大産地である。
春日部はなぜ、桐たんすなのか。時代は江戸初期まで遡る。17世紀前半に日光東照宮の造営にかかわった宮大工が、桐が自生していた「糟壁(かすかべ)」に住み着いたのが始まりとされる。
春日部で生まれた家具専門店には共通点がある。桐たんす職人を創業のルーツにしていることだ。(株)島忠は1893年に島村忠太郎氏が「島村箪笥製造所」を立ち上げたのが起点。大塚家具は1928年に、桐たんす職人の大塚千代三氏が開業した工房が前身。両社とも桐たんすの製造から家具の小売に転じた。
島忠は90年代まで、家具専門店として日本一の売上高を誇っていた。2000年に大型店を次々とオープンした大塚家具が首位の座を奪った。しかし、08年のリーマン・ショック後は、低価格を標榜するニトリHDへと覇者は移っていった。
大塚家具はヤマダHDの完全子会社になり、島忠もニトリHDの完全子会社になった。奇しくも、春日部発祥の2社は、その歴史を閉じた。
(了)
【森村 和男】
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