“負けずきらい”が生んだ実績 最高のパートナーとの出会いが支えに
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(株)アダル 会長ファウンダー
武野 重美 氏働くことが喜びだった若き日々
業務用家具や什器の製造から卸、販売までを手がける(株)アダル。業界大手として九州を代表する同社だが、急激な躍進を遂げ、国内のみならず世界を股にかけて実績を積み上げてきた。60年前は「従業員3名程度の小さな個人商店」だったという同社がこれほどの企業に成長したその道のりは、現在会長を務める武野重美氏の不屈の「生き様」そのものでもある。
武野氏は小学校高学年のころから「学歴ではなく、仕事の実績をつくっていく」と考えていた。16歳で職業訓練学校を卒業すると、迷わず熊本県人吉の家具製造販売企業に就職し、一心不乱に働いた。しかし、就職のわずか半年後、左足を負傷するという不運に見舞われる。怪我による入院期間は約3年半もの長期間にわたり、(今では普通に歩けるようになったが)退院時は足を曲げることすらできない状態だった。そのため、座りながらでも作業ができる椅子の革張りの職に就く。「入院中は、働けないことがとにかく悔しかったですね。退院して仕事を再開できた時の喜びはひとしおでした」。武野氏は当時を振り返りそう話す。
実際、武野氏は足に障害をもちながらもさまざまな土地に自ら足を運び、学び続けた。転機となったのが、カタログ販売である。今では当たり前となっている業務用家具のカタログ販売だが、当時日本国内には業務用カタログをつくっている企業は1つもなかった。武野氏は、欧州へ視察に赴いた際にこの方式の将来性に気づき、ただちに着手した。周囲からは冷ややかな視線も浴びた。それでも自分の目と判断を信じた結果が、大成功だったというわけである。
様々な障壁を乗り越え中国でも事業は成功
中国市場の開拓は、アダルにさらなる躍進をもたらした。香港にいた顧客から、中国でともに合弁会社をつくらないかと声をかけられたのがきっかけだった。だが、それは苦難の連続だった。言語の問題や協力者の裏切り、環境の違い…あらゆる障壁が武野氏の前に立ちはだかり、「うまくいくことよりも、いかないことのほうが圧倒的に多かった」。それでも武野氏は歩みを止めなかった。「根っからの負けず嫌いで、進み続けてきただけ。なぜ、中国で成功できたかとよく聞かれますが、成功するまで失敗を続けてきただけです。それは今も変わりません」(武野氏)。
そうして中国でも成功を収めた武野氏だが、夫人である張英氏の存在は大きい。上海出身の同氏は、上海協栄家具有限公司での勤務経験を有し、日本語は堪能、実務経験も豊富という、武野氏の公私両面を支える続ける大切なパートナー。現在は、中国企業「桐郷市友利家具有限公司」の董事長(オーナー)として、主に総務や財務、政府役人との交渉を担当している。
失敗しても成功するまで続ければ、負けることはない。しかし、成功の秘訣をあえて挙げるとするならば、「負けず嫌いだったこと、最高の出会いがあったこと」。少し照れ気味にそう語る82歳の武野氏の面持ちは、比翼連理で人生を切り拓いてきた張英夫人への感謝と愛情で溢れていた。
<COMPANY INFORMATION>
代 表:武野 重美
所在地:福岡市博多区金の隈3-13-2
設 立:1968年4月
資本金:1億8,225万円
TEL:092-504-4141
URL:https://www.adal.co.jp
<プロフィール>
武野 重美(たけの しげみ)
1939年宮崎県生まれ。59年、福岡のイスヤ商会に就職後、先代の逝去によって代表取締役に就任。91年に(株)アダルへ社名変更し、業務用家具業界でパイオニアとして活躍。現在の肩書は「会長ファウンダー」で、福岡と世界を回りながらアダルブランドの発展に努めている。い草を使ったオリジナル家具が欧州を中心に高い評価を受けるなど、独創的な新商品開発にも定評がある。法人名
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