【特別インタビュー】福岡最後の傑物政治家 武田良太の「国盗り物語」(前)
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衆議院議員 武田 良太
岸田政権の誕生以降、どこか影の薄い二階派。権力の座を追われた菅首相誕生の立役者だった二階俊博氏の失脚によって、二階派は他派閥の草刈り場になるとの見方すらある。そんな二階派にあってひとり気を吐くのが福岡11区選出の衆議院議員、武田良太氏(53)だ。筑豊魂を地で行く「喧嘩(けんか)上等」の政治姿勢は時にさまざまな軋轢を生むものの、かつての自民党政治家が身に宿していた強烈な自負と矜持を漂わせるその姿に、早くも“筑豊から総理総裁を”と期待する声は多い。
(聞き手:(株)データ・マックス代表取締役社長・児玉 直)岸田首相誕生の裏側~河野太郎失速の背景
──菅(義偉・前首相)さんの失脚以降、二階派は党内で肩身が狭いという話がありますね。
武田良太氏(以下、武田) 菅さんがいきなり辞められたのでね。あのころ、菅さんはまさに「腰が立たない」感じでしたよ。じつは私は、(辞任発表の)前日にもお会いしていて、ちょうど「総裁選をどうしましょうか」って話をしていたんですよ。それで、「内閣改造でいこう」と。内閣改造をするときにはまず党の役員人事から入るでしょ、それで役員会を招集して総裁一任を取り付けるんです。実際に総裁一任を取り付ける手続きに入ることになって、翌日に役員を招集したんです。それで二階(俊博)幹事長をはじめ一任だと。そうしたら、いきなり菅さんが「おれは出ない」って言ったんですよ。一任を取り付ける手はずで招集した役員会で総理が総裁選に出ないと言った。驚きですよ。みんなひっくり返りましたね。
──武田さんの長い政治生活のなかでも予想外だった。
武田 こんなことは予想もしなかったですね。しかも、私はある意味内閣のなかでは菅さんの最側近だと自他ともに認めていましたので。それまでは全体的政策や政局についても菅さんと話し合いながらやってきていたんです。だからショックが大きかったですね。すぐに官邸に走って「どういうことですか?」と聞いたら、「やる気がなくなった」と。その言葉を聞いて、正直に言って同情しました。菅さんって、すごい努力をしてコロナ対策に取り組んでいたんです。とくにワクチン接種についてはかなり無理なこともしていた。そうしたなかで岸田(文雄・現首相)さんが「総裁選に出る」と言ったでしょ。なんなんだと。「こんなときに出るか?」と普通は思いますよ。こんな非常事態で菅さんの対抗馬に出るのかと。それで、虚しさが出たんじゃないですかね、菅さんは。
二階さんからは「もう幹事長を辞めたので派閥に帰って来い。事務総長をやれ」と言われて。そうしたらすぐに選挙でしょ。事務総長として、選挙では10日間で全国39選挙区をまわりましたから、地元には数時間程度しか居られなかったんですよ。おかげさまで、結果的には現有勢力を維持することができました。
それからしばらくはいろいろ閥務をこなしていたんですが、その間に総裁選があって河野太郎をやろう(支持しよう)と。じつはこれ、派閥の縛りがなかったからできたんですよ。なぜかというと、総裁選に出た高市(早苗・自民党政調会長)さんと12月に再婚した山本拓(前衆院議員)もうちの派閥で、同じく野田聖子(内閣府特命担当大臣)の別れた旦那の鶴保(庸介・参院議員)もうちの派閥。この2人が、別れた女房のためにそこまでやるか?というくらい一生懸命応援していて(笑)。だから派閥として実質的な縛りができなかったんですね。独特な縁があったと言うべきか。
もう1つ大きかったのは、二階さんの力が抜けちゃったことですよ。二階さんは菅さんをずっと支えてきたし、実質的には「菅内閣をつくった男」ですから、急に辞めるとなったら力が入らなくなりますよ、二階さんだって人間ですからね。担いでた神輿がなくなったら、今さら誰を担ぐんだという話で。そうしたら若い連中は何が何でも選挙に勝ちたいので「河野でいかせてほしい」と言ってきた。私も選挙の顔がそれ(河野氏)ならプラスになると思いましたから、二階さんに「河野でいきますよ」と報告して、二階さんもそれでいいと。
それで河野陣営からいろいろ頼まれたりもしました。石破(茂)さんと小泉進次郎と一緒に「小石河連合」っていうのをつくったりして総裁選挙に臨んだ。個人的には、今回の総裁選にかかわったことでこれまでとは違う意味の広がりやつながりができたと思います。これまで思いもしなかったような縁もできましたし、自分にとっては非常にプラスになりましたね。
──人脈が広がったんですね。
武田 かなり広がりましたね。いろいろな方との信頼関係ができましたから、これは今後の政治活動にいきてきます。
──河野さんが失速したのはなぜでしょう。
武田 やはり河野太郎のイメージ、あるいは突破力っていうのは破天荒さなんですよ。それが蓋(ふた)を開けてみると派閥に遠慮しすぎちゃって「なんだこりゃ」となったのでしょう。ある意味、自分で自分の良さを消しちゃった。もし派閥を飛び出して若手をまとめていたら勝ってますよ。それが派閥の長老のとこに日参して「理解してほしい」なんてやったりしてね。あれがどれだけキャラクターを壊したか、そのことは本人にも言いましたよ。河野さんのような振り切り方だと破天荒を貫かないと票は入らないよってね。何をするかわからないところが魅力なんだから、そこのところで期待はずれ感を与えたのでしょう。あとは、河野さんにしても石破さんにしても真剣に人付き合いを考えすぎるところがあります。それだと人の輪が広がらないんですね。妙に考えすぎちゃうところがある。
──他人に自分の弱みやバカみたいなところを見せることも人間関係には必要ですものね。
武田 そうなんですよ。だから「酒飲み友達でもいい、ゴルフ仲間でもいいから遊び仲間を広げなさい」と助言しました。そこのところが河野さんの伸び悩みになったのかなと思いますね。だって、党員・党友による地方票はトップでしょ、総投票数の5割近くの地方票をとるくらいですから本当は勝てたはずなんです。若手は「派閥力学をやめよう」といって集まって河野さんを担いだのに、その本人が派閥に気を遣うところをみせたのでしらけちゃったわけですね。
──ここ一番という勝負で、2代目、3代目は脆(もろ)いということですか。
武田 総裁選の後で河野さんと一献やったときに、そのことは意見具申しておきました。自分のカラーを貫き通すってことは大事ですよと。あれだけ若手が担いでくれたんだから長老と若手の両取りっていうのはそれは無理な話で、何かを犠牲にしないと得るものはないんですよね。自分のスタンスを変えたら魅力がなくなりますし、河野さんもいますごく悩んでいますよ。
──安倍(晋三・元首相)さんはなぜ高市さんを押したのか。
武田 あれは私も不思議でね。最初は全然本気じゃなかったのが、あるときからエンジンがかかったんですよ。最後のあたりの本気度はすごかったんですよ。「どうしたんですか?」ってご本人にも聞いたくらいですから。そうしたら「いや、やらなきゃならないんだ」って。理由はよくわからなかったですね。高市さんは、ちょっと右寄りの方からの支持を集めた感じですが。
政治は貸し借り~世代交代が進む自民党
──ところで、右翼思想というか国粋主義、民族主義と呼ばれるような自民党の代議士って衆・参合わせて今はどれくらいいるんでしょうか。
武田 分類は難しいですよね。発言だけ見ていてもよくわからなくて、その方がどこまで本気でその主張をしているのか図りかねる部分もある。強気のことを言っていても、本当にそれが実力が備わったうえで言っているのかっていうのもありますし。おそらく2割いないでしょう。要するに、民族思想とか国粋主義とかいう精神的なものだけでなく、安保や外交問題で中国や韓国に対峙するという姿勢も含めての2割ですよ。
──安倍さん、3回目の登板はないでしょうか。
武田 それはないでしょう(笑)。前回も体調が悪くてやめて今回もそうだから、そこはご本人もわきまえていらっしゃる。
──政治家、とくに与党政治家はそれぞれに国盗りのロマンを持っているわけで、安倍さん退陣で「ここで勝負」と思っている方も多い。それは安倍派内だってそうでしょう。ところで、武田さんご自身は国盗りに向けてどんなプランを描いているのか。
武田 それはまだまだ考えていませんよ(笑)。ただし、無理にバタバタしなくても現実的には世代交代がどんどん進んでいますから。だから、いま経産相の萩生田(光一)さんとか加藤(勝信・前官房長官)さん、あと西村(康稔・前経済再生担当相)さんとかは私の同期でもあり非常に親しくしています。みんな派閥が違うのが逆に良くて、それぞれが同世代の横の連携をとるのが大事だと思います。結局、「政治は貸し借り」なんですよ。いろいろなところで助け合ってステージをまわしていくので、貸し借りができる相手がいることが大事なんです。みんな当選7回でそれぞれいろいろな閣僚も経験して派閥の事務総長クラスです。だからちょうどいいんですね。
──上の世代もいなくなった。機が熟するのを待つと(笑)。
武田 二階派だって40人以上いますけれど、私より上の方は7、8人ですよ。私も、気づいたら後輩の世話をしなければならない学年になりました。もう20年ですからね。
──自民党はなぜ山口県出身者ばかり表に出てくるのか。福岡は広田弘毅(第32代首相)くらいしかいないじゃないですか。
武田 麻生太郎さんがいるじゃないですか(笑)。それで自民党は下野したんですから。
──すっかり忘れていました(笑)。ところで、保守本流のプリンス、林(芳正・外相)さんの可能性は?
武田 たいへん有能な方ですので、ご本人の努力と運によっては可能性がありますよね。
(つづく)
【まとめ・構成:データ・マックス編集部】
<プロフィール>
武田 良太(たけだ・りょうた)
1968年、福岡県田川郡赤池町(現・福智町)生まれ。明治学園中学校から県立小倉高校を経て早稲田大学卒業。亀井静香衆議院議員の秘書を経て1993年、旧福岡4区から自民党公認で出馬も落選。96年と2000年の衆議院議員総選挙にも連続落選。03年の第43回衆議院議員総選挙で福岡11区から出馬して初当選し、自民党に入党。05年9月の第44回衆議院議員総選挙では自民党公認を得られず無所属で出馬して再選。復党後は山崎派に所属。09年、早稲田大学大学院公共経営研究科修了。08年8月、福田康夫改造内閣において防衛大臣政務官。13年9月、第2次安倍内閣で防衛副大臣。19年9月、第4次安倍第2次改造内閣で国家公安委員会委員長、行政改革担当大臣、国家公務員制度担当大臣、国土強靭化担当大臣、内閣府特命担当大臣(防災)として初入閣。20年9月、菅義偉内閣で総務大臣。21年10月31日の第49回衆議院議員総選挙で7選。関連記事
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