鶏卵最大手イセ食品、会社更生手続きめぐり、親子の壮絶バトル(中)
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「親子の仲でも金銭は他人」ということわざがある。たとえ血を分けた親子の仲といえども、こと金銭に関しては他人と同様、水臭くなるというたとえ。事業承継をする際に揉める親子は少なくない。鶏卵最大手・イセ食品グループの会社更生法の申請をめぐって親子バトルが勃発。事業継承の難しさを示している。
「エッグ・キング」彦信氏
生産調整によって国内の事業拡大が望めなくなると米国に進出。4年後の84年に、生産量・販売量とも全米ナンバーワンを獲得した。86年、ニューヨーク・タイムズ紙に「エッグ・キング」と紹介され、彦信氏の代名詞となった。
山田清機著『卵でピカソを買った男「エッグ・キング」伊勢彦信の成功法則』(実業の日本社、2005年刊)という伝記がある。世界の「エッグ・キング」である一方、ピカソ、モジリアニ、マチスなど数々の名画の所有者である彦信氏のミステリアスの人生を綴っている。
アマゾンにこんな書評(07年8月12日付)が載っていた。
〈全米でナンバーワンの養鶏業者にのし上がり、アンディーウォーホルなどのポップアーティストと友達となり、オークションで印象派の名画を競り落とす。大金持ちだが、スーツは値切って買う。有名人と知り合いだが、どう見ても田舎のおっさん。70(当時)過ぎなのに、ニューヨークとハンバーガーをこよなく愛し、富山の田んぼの中の豪邸に住まう。ともかく破天荒なオヤジ。ギャップに満ちた謎の人物。こんなオモロイ人物が日本いたのか!と驚かされた〉
とにかく、彦信氏は桁外れの怪物経営者なのである。
ニューヨークビルの売却益で7億円の申告漏れ
『「エッグ・キング」7億円の申告漏れ、パナマ文書が端緒に』。朝日新聞電子版(19年4月19日付)が報じた。パナマの法律事務所から流出した租税回避行為に関する内部文書「パナマ文書」が端緒となり「エッグ・キング」の申告漏れが明らかになった、という記事だ。
19年4月、ニューヨーク・マンハッタンにあるビルの売却益の一部を受け取りながら、所得を税務申告していなかったとして、伊勢彦信氏は約7億円の申告漏れを国税側から指摘された。イセ食品のグループ会社「イセヒヨコ」が米ニューヨークのビルを購入し、転売して得た利益の一部が配当として彦信氏にわたっていた。追徴税額は過少申告課税額を含め約3億円にのぼった。
彦信氏は栄養強化卵への取り組みに注力し、90年にはブランド卵の定番となっている「森のたまご」を開発してロングセラーブランドへと成長させた。生産子会社・関係会社を複数抱え、採卵鶏を約1,300万羽飼育し、種鶏や親鶏の育成から、採卵、パッキング、配送に至るまでの全工程をグループで一貫して行い、ピークの18年1月期は売上高約470億円をあげていた。
所得隠し事件をきっかけに、「エッグ・キング」として半世紀にわたりイセグループに君臨してきた彦信氏によるワンマン経営の弊害が目立つようになる。
銀行団が事業承継を求める
18年には、派手な看板や「1円セール」などで知られる大阪の名物格安スーパー「玉出」を買収して話題になった。何かと曰くつきの玉出の買収や所得隠しなどでコンプライアンス強化を求める銀行団との間に溝ができていた。
イセ食品グループは、関連会社への資金融通や過大投資、高額な美術品への資金投下などで金融債務の負担が重かったうえ、飼料価格の高騰で経営が悪化した。
19年には北陸銀行元常務を社長に据えて融資獲得を図った。20年3月、約50行の金融機関へ私的整理を要請。21年3月末までにグループオーナーの彦信氏の後継者を決めて事業承継することや、彦信氏への貸付金の弁済などが私的整理の枠組みに盛り込まれ、20年9月に全行が同意した。
彦信氏は、この枠組みに不満で、北陸銀行出身の社長は辞任。会長と社長を兼務した彦信氏は21年6月、会長兼社長を辞任し、伊藤忠商事出身の田中保成氏が社長に就き、金融機関との交渉にあたった。だが、事業承継は進まなかった。
(つづく)
【森村 和男】
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