ゴッホなどの名画を収集していた大昭和製紙・齊藤氏の命運(後)
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「森のたまご」ブランドで知られる鶏卵最大手、イセ食品(株)グループが会社更生法を申し立てられた原因は、「エッグ・キング」と呼ばれたオーナーの伊勢彦信前会長が、会社の資金を使ってピカソなどの美術品コレクターになっていたことがある。バブルの時代に、まったく同じような美術品をめぐる騒動があった。「東海の暴れん坊」の異名を取った大昭和製紙(株)のオーナー経営者、齊藤了英名誉会長(故人)がゴッホとルノワールの名画を手に入れた逸話だ。振り返ってみよう。
「ゴッホとルノワールは棺桶に入れてくれ」
1991年5月。高額納税者全国一になった齊藤了英氏は記者たちにコメントを求められた。「周りには(2点の絵画を)俺の棺桶に入れて焼いてくれと言っている。死んだ時の遺産相続が何百億円になると面倒くさい」と発言した。
この発言は各紙に載った。日本ではいつもの大口叩きと聞き流されたが、海外の美術関係者たちは激怒した。「人類の貴重な財産を灰にするとは言語道断」という大ブーイングが浴びせられた。
了英氏は慌てて否定したが、後の祭り。バブルの時期に、カネにあかせて名画を買いあさる了英氏に不快感を抱いた美術関係者は少なくなかった。
日本中が大騒ぎした世界的名画のコレクターに日本一の億万長者の肩書きが付いて、ついつい調子に乗って大口を叩いたのが、「ゴッホとルノワールは、自分が死んだら俺の棺桶に入れてくれ」という発言である。
驕れる者は久しからず。大失言以来、了英氏の歯車はすべて狂い出す。バブル経済が崩壊し、大昭和製紙は奈落へ突き落とされることになる。
「会社のカネはオレのもの」という金銭感覚
93年11月、了英氏はゴルフ場建設をめぐる本間俊太郎・元宮城県知事への1億円の贈賄容疑で逮捕され、辞任した。95年10月、了英氏は東京地裁から懲役3年、執行猶予5年の有罪判決を受けた。それから間もなく脳梗塞で倒れ、96年3月30日に他界した。79歳だった。
ドンがいなくなった大昭和製紙は求心力を失い、経営は迷走。2001年3月、大昭和製紙は日本製紙(株)と統合した。日本製紙に吸収されたのが実情で、大昭和製紙の名前は消えた。
了英氏は、創業者・齊藤知一郎氏の長男。「東海の暴れん坊」と異名を取る強引な手法で事業を大きくしたが、その経営感覚は個人商店の域を超えることはなかった。会社のカネはオレのもの。社員はオレの使用人。いかに使おうとオレの勝手。文句あるか、というわけだ。
勝手気ままに好き放題にやった了英氏は、ある経済ジャーナリストの言葉を借りれば、
〈「斉藤了英の歴史は私物化の歴史にほかならない。大昭和製紙の私物化、静岡県政の私物化、最後には世界の名画の私物化までやってのけた」ということになる。〉
(『週刊読売』93年11月28日号)ゴッホとルノワールの名画はどうなったか
それでは、故人とともに灰になるのを免れた2枚の絵画はどうなったか。
ルノワールの「ム―ラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」は94年7月、借金のカタに押えていた大昭和製紙がニューヨークのサザビーズで売却。価格は5,000万ドル(約60億円=当時)といわれている。了英氏は118億円で手に入れたから、バブル崩壊で半値に下がった。スイスの個人コレクターの手に渡ったとされている。
一方、ゴッホの「医師ガシェの肖像」は97年8月、齊藤家がサザビーズに売却した。非公開でオーストラリア出身の米国のヘッジファンド投資家ウォルフガング・フロットロール氏が、一説によると9,000万ドル(約105億円=同)で購入した。了英氏は125億円で落札しているから、さほど値は下がっていない。
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ブックオフ創業者坂本氏死去、稲盛氏の叱咤で再起(前)2007年1月、フロットロール氏が円取引失敗によって10億ドル以上の負債を出して破産したため、サザビーズに売却された。現在の所有者は不明だが、売却されて個人蔵になっているとされている。
まさに、バブル時代を彩った美術品コレクターの狂騒曲であった。
(了)
【森村 和男】
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