2024年12月21日( 土 )

【再掲:福岡大学の変貌(4)】「近代的」とは何?

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近代的福岡 イメージ それはさておき、「前近代」は「近代」より劣っているといえるのか。私の価値観を「前近代的」と言い切る人には「あなたのいう近代的は何ですか?」と切り返したくなる。多勢に無勢で近代派が前近代派に勝るにちがいないと思っている人が多いが、ある種の近代化は人間を害する可能性があるとは著名な社会学者デュルケームも言っていることである。

 現代流の「近代」とは能率主義の最優先、効率第一主義ということである。もう1人の著名な社会学者ヴェーバーは、近代社会における合理性を「効率」と結びつけて論じた。つまり、「近代的」とはある目的を達成する最短の道を選び出すことを意味するのである。そんなのは本当の近代とは違う、などという勿れ。日本ばかりでなくほかの国においても、近代化を推進すれば必ずそうなるのである。

 日本ばかりでなくと言ったが、私が所属している国際学会の中枢部にもその種の近代主義者がいる。「ドイツ的近代」を誇るその人は学会運営の「近代化」を企て、その目的にとって邪魔となるものはすべて排除してかかろうとする。学会運営のための規則づくり、マニュアル作成、それを徹底遵守しようとする精神。自分では善いことをしているつもりでも、学会の風上にも置けない不逞の輩だと私は思っている。なんとなれば、そういう連中は創造性を殺す。学問は創造性が命なのに。

 しかし、私がそんなことを言おうものなら、「そうしなければ予算がつかないとか、あなたはロマンチックな理想主義者だ」とか、いろいろケチをつける。自分が機械の一部と成り果てて、それに抵抗するためのエネルギーを失っていることには少しも気付かず、自分は世界をより良いものにしていると思い込んでいるのだ。さらに困るのは、自分のそういう立場を絶対視し、それが最も民主的だと信じていることである。

 そういう連中に対して反論する人が減ってきていることにも問題がある。この状態が続けば、最終的には人間には主観が入って物事が判断できないからAI(人工知能)にやってもらったほうが良いことになる。

 だが、考えてもみればたしかにそうなのだ。「前近代的」であったはずの私が、今や超近代派を歓迎することになる。いっそのことAIにすべてを任せた方がいいと思うからだ。データ分析の専門家に言わせれば、AIには「考える力」はないが「判断する力」はあるという。考えることが不要で、判断だけが必要ならば、人工知能に任せるのが一番なのである。

 プーチンのウクライナ侵攻など、AIに判断を任せればよかったのだ。AIなら複雑で未知数の多い状況をすばやく分析し、もっと賢明な判断を下せるはずだからである。残念ながら、人類はまだまだ欲望と野心と身体的不自由から脱却していない。これからの政治家は高度に発達したロボットを側近とし、それと相談しながら事を進めた方が、政敵との駆け引きやうるさい秘書官などに煩わされず、よほどよいのではないだろうか。

(つづく)

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