新造船が投入された名門大洋フェリー(前)
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運輸評論家 堀内 重人
名門大洋フェリーの沿革
(株)名門大洋フェリーは、大阪~門司間のフェリー航路を運航している海運会社。「名門カーフェリー」と「大洋フェリー」が合併して、1984年に名門大洋フェリーが創設された。正式に合併して名門大洋フェリーとして運航を開始したのは86年3月である。
「名門カーフェリー」は名古屋~門司間の航路を開設していた。もう1つの大洋フェリーは商船三井系の船社であった。共に70年に創設されたが、大洋フェリーは同年3月に、大阪~福岡県京都郡苅田間のフェリー運航を目的に設立され、後に商船三井系の傘下に入った。
同年11月には、京都市に本社を置く京阪練炭工業(現・ケイハン)が母体となり、「名門カーフェリー」が設立された。72年5月から四日市~新門司間で運航が始まり、同年10月からは名古屋へ延伸されたが、76年3月末で名古屋~新門司間の航路が廃止され、大阪~新門司間の運航となる。「名門」という名称は、「名古屋」と「門司」を結ぶということを意味している。
両社の合併の背景には、次のようなことがある。83年3月に中国自動車道が全線開通し、大阪~北九州間が高速道路で直結されると、フェリーからトラックへのモーダルシフトが進んだ。その結果、フェリーの利用率は前年比で7%の減少となった。
両社の合併により、大阪~苅田間の航路が廃止され、大阪~新門司間の航路に集約した。そして新会社が両社のフェリーをチャーターする方式で、現在も実施されている1日2往復の運航が決定した。
名門大洋フェリーの船体の塗装は上半分が白色、下半分が青色である。自動車の挿入口付近の白色の部分に海鳥が描かれたマークがあり、そこに「CITY LINE」の愛称が入っている(写真1)。
ファンネルマークは、赤地に白い円のなかにアルファベットの「M」と「T」をあしらった青色のマークだが、これは84年12月の名門大洋フェリーとしての運航開始時から使用されている。
航路のダイヤ
現在は大阪南港~新門司港間で、1日当たりに上下各2便を運航している。上下ともに、午後5時0分に出港して翌朝5時40分に到着する第1便と、午後7時50分に出港して翌朝8時40分に到着する第2便がある。
2022年3月に3代目の「フェリーふくおか」が就航すると、それまで2便で使用されていた「フェリーおおさかII」「フェリーきたきゅうしゅうⅡ」が1便に転用された。その結果、第2便には新造船である3代目の「フェリーきょうと」「フェリーふくおか」が就航している。
22年3月の3代目の「フェリーふくおか」(写真2)の就航までは、第1便に「フェリーきょうとII」「フェリーふくおかII」が就航し、第2便には「フェリーおおさかII」「フェリーきたきゅうしゅうII」が就航していた。
15年11月の「フェリーきたきゅうしゅうII」の就航までは、第1便に「フェリーおおさか」「フェリーきたきゅうしゅう」が就航し、第2便には「フェリーきょうとII」「フェリーふくおか2」が就航していたように、名門大洋フェリーでは、新造船が完成すると2便として就航するのが今までの慣例である。
これには、2便のほうがビジネスや観光に便利なダイヤであるため、旅客需要が多いことが挙げられる。1便は大阪南港や新門司に午前5時40分に到着することから、仕掛品や半製品の輸送に便利で、旅客よりも物流を重視したダイヤとなっている。生鮮食品を輸送するには、大阪南港や新門司港着が午前5時40分でセリが終わっていることもあって無理だが、加工食品などは輸送しているという。
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新造船が導入された宮崎カーフェリー(前)名門大洋フェリーは瀬戸内海を航行するため、明石海峡大橋、瀬戸大橋、来島海峡大橋の真下を通る。大阪南港発の1便に乗船すれば、黄昏時の明石海峡大橋が一望できる。新門司発の場合、2便に乗船すれば、午前 7時30分頃に明石海峡大橋が一望できるなど、船旅ならではの魅力がある。
(つづく)
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