【独裁者プーチン、グローバル化を破壊(5)】結局はユダヤ人に負ける
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満州国に「ユダヤ人自治州」建設の企み
添付の地図は、1939(昭和14)年10月25日印刷、発行元は大日本帝國陸地測量部である。この満州国の地図の一角に「猶太自治州」という記載があるのに気づかれただろうか。
猶太は「ユダヤ」と読む。要するにこれは、ユダヤ人自治州建設計画なのである。計画責任者は日本陸軍。100km2といわれるが、実測300km2とみられる。ここに100万人のユダヤ人を定住させるというとんでもないプロジェクトだったのだ。
ここで「どうして日本陸軍が?」との疑念がわく。一般的には「優秀なユダヤ人を定住させれば地域のレベルが上がるという魂胆なのか」と考えられる。ところが陸軍の魂胆は資金づくりだった。イギリスにあるユダヤ系金融会社に「安全な区域に同胞の移住疎開地区を建設するから10億円出資してくれ」と申し込んだという。当時の10億円は10億ドル。1939年当時と比較すれば物価は100倍に上がっているから1,000億ドル。1ドル130円と換算して13兆円もの莫大な資金である。この金融機関も一時は乗り気になっていたようだが、戦況が悪化して計画は流れてしまった(敵国になる日本へ資金を流すことは一切、許さないという圧力があったとも聞く)。
香港、上海でも基盤を築く
日本陸軍ですらユダヤ人の資金力・優秀さを利用しようとしていたのである。1940年前後には東アジアにもユダヤ人たちがビジネスチャンスを求めて流浪してきた。イギリスが香港を押さえたのを契機にイギリス系ユダヤ人たちが大挙して押しかけてきたのだ。100年もすれば香港、上海を中心にユダヤ財閥が登場するようになった。また、他の東アジア地区においてもユダヤ人が多方面で活躍していた。
国家を樹立しなかったことが成功の要因
ユダヤ民族の2000年にもおよぶ念願が叶った。国家樹立である。1948年にようやくイスラエル国家を誕生させることができた。もともと、第一世界大戦終了後(1918年)に計画されていたのだが、イギリスに騙され延期されていた。イスラエル国家の誕生は喜ばしいことであったが、1948年まで辛抱してきたのは正解であった。早い段階でユダヤ人の国家が建設されていたら、ユダヤ民族自体が完全にジェノサイドされた可能性があったからである。
ユダヤ民族が各国に点在していたことが、幸いしたのである。ユダヤ人は、ウクライナでは総人口の10%超、ポーランドでは10%弱、ロシア王朝時代には5~6パーセント、バルト三国では10%前後の人口構成であった。少数派の民族であったが、経済的な運営能力は卓越していたから、それぞれの国の富の60%以上を牛耳っていた。しかし、政治支配層としては、表に姿をださなかった。これが生き延びる秘訣となったのだ。
ウクライナ問題が長期化するほど、事の本質が鮮明になってきた。「プーチンのユダヤ人への私憤」対「ユダヤ人ビジネスの防衛」がバトルの本質なのである。戦争が長期化すればするほど、プーチン劣勢の流れが強まっていくだろう。
(了)
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