2024年09月15日( 日 )

続・日本は「食えなくなる」のか?(前)

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補い合う世界の恩恵下に生きる・日本

 明治に入るころ、日本の人口は3.500万人程度だったという。江戸中期のそれは3,000万人余り。100年かけて、数百万人増えたに過ぎない。それが大正に入るころは5,000万人になり、戦前には、7,000万人を超える。その理由は政治環境、農地、農業生産の増加、向上、医療や住環境の改善などだろう。日本の人口は高齢化が進むとはいえ、今や1.2億人超。しかも戦前の極めて厳しい食糧事情に比べると天国も同然の暮らしである。

 その背景には食糧自給率37%という海外依存の食事情が横たわる。平たくいえば、豊かな食卓の裏には、その半分以上を国外に頼っているということである。食糧生産と切り離すことができないエネルギーに至ってはさらにその比重が大きい。いわゆる補い合う世界の恩恵下に生きているのが我が国なのだ。

 自給率37%ということは、簡単にいえば養えるのは人口1.2億人の37%、すなわち4,000万人強ということになる。明治後期の人口とほぼ同じだ。それが我が国の実質的な食力だ。もちろん、今の37%もすべてが自国でまかなっているわけではないから、輸入が止まればそれすら覚束ない。

 戦後、米進駐軍の方針で、民主主義実現の1つの手段として農地改革が行われた。その結果、少数の地主から多数の小作に田地の所有が移った。農地の細分化である。その後、我が国は工業化、商業化という近代化の道をひた走る。その過程で都市周辺の少なくない農家が所有する農地を賃貸、あるいは売却した。しかし、農地転用がままならない地方の農地にその恩恵はおよばなかった。地方では高齢化や就農人口の減少で耕作の放棄が進み、その面積は今や全耕作地の8%、ほぼ埼玉県の面積に匹敵する。結果としての自給率37%だ。

 我が国では農地を一般企業が取得して直接経営することを法律で禁じている。細切れ農地と所有の権利の固定化で農業の効率化は今のところ望み薄だ。いわゆる農業政策の硬直化に他ならない。そんななかで戦後、営農を指導するために設立された全国組織は今、農業ではなく、金融の世界でその存在をたしかなものにする。

飢餓が現実のものに?

 そんな我が国ではいま、やれ年間500万トンの廃棄だとか、大した根拠もなく決められた消費、賞味期間の前倒し消費、とか実に平和な食い物論議が盛んだ。だが、もし食糧輸入が止まれば、テレビコマーシャルでユニセフが訴えるようなアフリカの飢餓がこの国に現れるのだ。それもいきなりということにもなりかねない。

 以前、宿泊した山形庄内地方のホテルでタンザニアからコメの買い付けにきているいう40歳前後の数人に出会った。「日本のコメは高いだろうに、なぜ?」と聞くと、彼らはけげんな顔をした。考えてみれば高い、安いはその所得事情による。タンザニアから山形まで庄内米「つや姫」を買いに来る彼らはおそらく富裕層相手のコメ商人か政府の役人だ。

 アフリカの人すべてが貧しく飢えているわけではない。「買う金と、買うものがあるとき」モノは買い手の手に入る。金があれば食は買えるのだ。しかし、その片方が無ければ、食は手に入らない。杞憂に過ぎないのかもしれないが、我が国はおそらく、今その危機に直面している。明日、明後日の問題ではないが、国政に携わる選良には早急に考えてほしい問題だ。

(つづく)
【神戸 彲】

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(後)

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