2024年11月22日( 金 )

【徹底告発/福岡大・朔学長の裏面史(中間まとめ)】専横をどこまで許すのか(前)

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 研究業績の水増し、恣意的な役職人事など、福岡大学の朔啓二郎・学長の学長らしからぬ所業が次々と明らかになっている。医学部長時代から、パワハラ体質が指摘されていたが、学長就任で、さらに「磨き」がかかったのかもしれない。その姿は、自分のお気に入りを周囲に集め、批判する者を排除し、関連事業で受け取ったリベートなどを税務申告しなかったとして、今年3月、東京地裁で、懲役1年、執行猶予3年、罰金1,300万円の有罪判決を受けた日本大学の田中英壽・元理事長とも重なって見える。福岡大学出身者として初、医学部出身者として初の学長として、期待を寄せる向きもあったが、若いころからの学長の性格を知る関係者の懸念が的中したかっこうだ。

 加速度的に進む少子化で、大学を取り巻く状況は今後、厳しさを増す。それだけに、学長の責任、役割は極めて大きい。「徹底告発」シリーズの中間的なまとめとして、学長の資質や大学運営などについて若干の考察をしてみたい。

高潔な人格なのか

高潔な人格なのか    学長に必要な資質は何か。いろいろな意見があるだろうが、学校教育法に基づく省令「大学設置基準」で、学長の基準は定められている。第十三条二(学長の資格)には。「学長となることのできる者は、人格が高潔で、学識が優れ、かつ、大学運営に関し識見を有すると認められる者とする」とある。新設大学が大学の要件を備えているかどうか示した基準で、1956年に制定されている。学長の資格のほか、教授の資格、卒業の要件なども規定されている。「人格が高潔」とわざわざ明記しているのは、当時もいろいろと人格に難のある学長の存在が、問題になっていたのかもしれない。業績水増し、医学部教授選考での不当な人事介入、重要ポストには子飼いのメンバーを据える、といった専横ぶりをみると、残念ながら、朔学長が「高潔な人格で、学識が優れ」とは到底、思えない。

 「高潔な人格」に疑義が寄せられた学長の1人は、国立大学法人旭川医科大の、吉田晃敏学長(当時)だろう。今年3月、新型コロナウイルス対応で対立した病院長解任にともなうトラブル、複数の職員へのパワハラなどを理由に学長の座を追われた。コロナ患者の受け入れを求める病院長に、吉田前学長は「受け入れるならお前が辞めろ」などと言い放ったとされる。

 循環器内科医の朔学長に対し、吉田前学長は眼科医だ。旭川医科大学の一期生で、旭川医科大学卒業生から選ばれた初めての学長だったというのは、単なる偶然なのだろうか。

挨拶はいつも自慢話

 朔学長は1952年3月に生まれた。父親は九州大学医学部卒業後、福岡市博多区で開業していた。72年、新設された福岡大学医学部に入学した。父親のように、帝国大学の医学部への入学を果たせなかったという無念さに歯噛みしただろうことは想像に難くない。78年に卒業。2000年に福岡大医学部心臓・血管内科学講座の主任教授と就任。その後、副病院長や医学部長を歴任した。朔学長らの世代は、65歳で主任教授は降りることになっており、17年3月に医学部総合医学研究センターに移籍している。

 朔学長の関係する講座のホームページを見ると、主任教授退任の年に福岡市内のホテルで開かれた祝賀会が紹介されている。参加者が一堂に並び、盛大な会だったことが分かるが、ここまで権力を誇りたいのか、と鼻白む人も多かろう。祝賀会で、大学時代を振り返った朔学長は「4年生、5年生、6年生は特待生だったこと」「卒業時に卒業生総代になったこと」「専攻する循環器内科は(学業)トップの連中が入局すること」などを得意げに話している。すばらしい研究業績を挙げたことも強調しており、いつものように挨拶は自慢話に終始した印象が拭えない。

(つづく)

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(中間まとめ)-(中)

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