2024年12月23日( 月 )

【徹底告発/福岡大・朔学長の裏面史(14)】恐怖政治篇5:抵抗者は徹底的に叩き潰せ!(4)

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 執行部の「厳重注意」にもかかわらず、“クーデター“6人組はその後も同じようなやり方で看護学科を混乱させていたようである。 “朔医学部長の意に叶うように“という目的性はむしろ露骨さを増し、ある時などは一度選考に落ちたかれの大学院生を採用するための正教授会を開けと要求していたとのこと。まだ退職届も提出していない退任予定の教員に向かい、早く出せと激しく詰め寄ったこともあるらしいとの噂もある。

 だがインタビュイーたちは、そんな6人にむしろ同情を寄せていた。「医学科の『朔派』の少なからぬ人々がそうであるように、朔医学部長に強い圧力をかけられていたかもしれません」。1人はため息混じりにそう話す。

 彼らの話を総合するに、「厳重注意」の直後に朔医学部長は、“執行部はこれを取り消す“旨の“手紙“をもらったとし、それを医学部全体の教授会で読み上げた。“手紙“の現物もコピーも、そのときはもちろん、その後も示されることはなかった。要は、朔氏は文書のでっち上げのようなことまでして、配下の6人の行為に非はなかったことにした疑いがもたれているのだ。そのうえでさらなる“ミッション“を課していたとすれば、彼女たちがどんなに追い詰められた心理状態に置かれていたか、想像するに余りある。

 実際、2015年末から16年初頭にかけて、6人組の1人が学生たちにパワハラを振るい、多数の学生から訴えが寄せられるという事件が起こっている。「パワハラ」の具体的内容について話を聞いたところ、たしかに許しがたい暴力的行為だった(人格否定を含む叱責や詰問、体罰、特定の個人に対する吊し上げなど)。だが、当該教授の振る舞いにはどこか尋常ならざるものが感じられた。

 当該教授はその後、大学当局から一定期間の「出勤停止」の懲戒処分を受けている。事件後はまるで憑き物が落ちたかのように“普通“になったらしいとの声もある。朔氏はアメとムチで人を手駒のように扱いながら、その人たちの精神状態も狂わせてきたのではないか。そして、その歪みが学生に対するパワハラとなって顕在化したのが、この事件の核心ではないのか。いずれにせよ、対応を迫られた朔医学部長がしたことは、卑劣極まりないものだった。

 大学当局が調査に乗り出したことを受けて、医学部内でも調査委員会が立ち上がった。委員長は当然、医学部長・朔氏が就く。そして、そこから出された報告書は、当該教授の行為は適切な教育の一環であったかのように読める内容になっていたという。それも、“訴えを起こしたのは普段から問題のある学生だから“と。しかも、精神科など複数の医学科教授の“意見“まで用意されており、“学生側に問題あり“のテーゼを補強するつくりになっていた。

 「医学科では『朔派』で有名な人たちですよ。でも、その教授たちは、少なくとも調査委員会の発足当時はメンバーではなかったと記憶しています。つまり、パワハラを訴える学生のことを、委員でもない者に事前に教えていたということになりますよね。」

 要は、朔医学部長は配下の者のハラスメント行為をなかったことにするために、息のかかった精神科医師を動員してまで、学生に罪を被せようとしていたのだ。それだけではない。報告書は、あたかもZ教授が“問題学生“を唆して訴えを起こさせ、当該教授を陥れたかのような書き方になっていたとのこと。事件に乗じてZ教授を陥れようと画策したのは明白だ。

 Z教授はこうした攻撃に、あくまで規程に則り、粛々と対処していったようである。だが、それにどれほどの時間と労力を割かねばならなかったことだろう。実際、執行部も2代にわたって巻き込まれた看護学科の受難の年月、Z教授の提出した文書や資料は、「いったい博士論文が何本書けるだろうと思えるほどの膨大な量だった」という。己れ一人の野心のために、自分が長を務める学部内教員の研究・教育活動を妨害してきたのが、朔学長という人物なのである。

 そして、意のままにならなかった者への意趣返しにかける執念は凄まじい。Y教授が福大を去ったのちも、学長となった朔氏からの執拗な攻撃に晒され続けているように、Z教授もまた不当な仕打ちに遭っていた。Z教授自身は真相を知らないかもしれないが、と断ったうえで、複数の関係者が驚愕の事実を明かしてくれた。

 「Z教授は福大を定年で退職されたのち、福大に博士号取得を申請したのですが、朔学長は医学研究科博士課程小委員会に不当に働きかけてこれを阻止したんです。論文博士が認められないなど、まったくもって前代未聞のことです。とくにZ先生は米国で20年もの研究キャリアを有するこの分野の泰斗。これはあり得ないと、医学部内でもさすがに動揺が広がりました。当時の委員長は循環器内科出身の朔教授の後輩、主査は**(我々の記事でもお馴染みの、朔学長の“愛弟子“氏の名)教授、そして副査は朔教授の英語論文の『ゴーストライター』の噂も高い**准教授といった腹心らで完全に固められていました。朔学長自ら、もう医学部長でもないのに大学院にきて、審査プロセスに介入している姿が目撃されています。あいつを落とせ!と。」

 朔学長によって福大は、学位が学長の私情に左右されるという、「大学」と呼ぶことさえできない何かになってしまった。このままでは優秀な学生や人材はますます寄り付かなくなり、ひいては福岡の社会・経済に大きな損失をもたらすことになろう。

 Y教授とZ教授が受けた仕打ちは、福大医学部に絶大な「見せしめ」効果を発揮している。「かれにひどい仕打ちを受けた人はたくさんいますが、そのほとんどが泣き寝入りを強いられたままです」。なかには心身に不調をきたし、いまだに後遺症に悩まされている人たちもいた。

「医者のくせに、ひとを病人にするんですかね、朔は…」

 関係者の一人が口にしたこの言葉は、朔氏が病院部門に関する絶大な学長権限を手にしたいま、不吉な響きを帯びて立ち表れている。

(つづく)

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