九州ラグビー復権への道 サニックスの撤退と今後(2)
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現役オールブラックスの入団、栄枯盛衰
宗像サニックスブルースは、1994年にサニックスラグビー部として福岡県社会人Cリーグに加盟し、同リーグ戦で優勝。シーズン終了後に、飛び級という異例なかたちで95年に西日本Bリーグ(2部)に加盟した。
95年シーズンよりニュージーランド代表のジェイミー・ジョセフ、97年にはグレアム・バショップが入団。両名は「ラグビーワールドカップ1995」のファイナリストだ。現役オールブラックスの入団に国内ラグビー界が騒然となった。サッカーで例えると、地域リーグレベルのクラブにリオネル・メッシ、野球でいえば、県レベルの社会人野球チームに大谷翔平が入団するくらいの衝撃である。
その後、両名は、日本代表として4年後のW杯にも出場している。ちなみにジェイミー・ジョセフは、現在日本代表のヘッド・コーチとして活動中だ。
その後、同部は西日本Aリーグに昇格し、4度リーグ優勝に輝き、全国社会人大会に出場するなど、九州ラグビー界の新興勢力、そして強豪の一角として成長を続けた。
2003年シーズンには「第1回ジャパンラグビートップリーグ」に参加し、チーム名を「福岡サニックスボムズ」に変更。リーグ戦では奮闘するも、関東・関西の強豪の前に屈し、2勝9敗・勝ち点14の最下位(12位)でトップリーグの2部組織である、トップ九州Aリーグ(1部)に降格した。
04年にトップ九州およびトップチャレンジAに優勝して1年でトップリーグ復帰をはたす。その後、チーム名を「福岡サニックスブルース」、そして「宗像サニックスブルース」へと変更した。リーグ戦の最高位は7位で、2度の地域リーグ降格とトップリーグ復帰を経験している。
21年7月16日、新リーグとなるJAPAN RUGBY LEAGUE ONEのD3(3部)に振り分けが決定。22年1月からのリーグ戦では開幕より奮闘し、6チーム中2位の戦績(順位決定戦では3位)を収めるも、22年3月30日に、(株)サニックスの取締役会において、22年シーズン限りでの休部が正式に決定。5月31日に活動を休止し、事実上の廃部となった。
28年間の同部の歴史は、山あり谷ありの連続であった。
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【ラグビー】宗像サニックスが廃部 企業スポーツの今後(前)ほかのチームのオーナー企業は、東証一部もしくは同等の規模を有する世界的な企業ばかりだった。一方、サニックスは一時1,000億円企業に近づいたものの、世界的なメジャー企業の業績規模にはほど遠く、資本面でのハンデは明らかだった。それでも同部は果敢に戦った。綿密なスカウティングによる選手獲得活動、創業者の宗政伸一氏の物心ともに手厚いサポート、宗像市との連携による地域活性化活動など、九州ラグビー界の盟主として、奮闘してきたのは事実だが、残念ながら企業スポーツの宿命に殉ずる格好となった。
(つづく)
【難波 二郎】
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