【追悼】「我自制・他育成」を実践した人~田中JR九州元社長
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JR九州の2代目社長を務めた田中浩二氏が11日に逝去した。84歳。葬儀・告別式は親族のみで執り行なわれた。田中氏は1938年生まれ。60年に当時の国鉄(日本国有鉄道)に入社。JR九州が発足した87年から同社常務、91年から専務、94年から代表取締役副社長を経て、97年に代表取締役社長に就任、2002年まで務めた後、02年から08年まで会長を務めた。ほか、九州観光推進機構(現・九州観光機構)の初代会長、福岡大学理事長を務めるなど、地域の観光推進や教育振興に取り組んだ。
「我自制・他育成の人なり」
田中氏に対しては各方面から追悼が寄せられるであろう。筆者は福岡日韓親善協会でのお付き合いを通して知り得た故人の面影を偲んで追悼する。5年前から体調を壊していたことは本人から耳にしていた。腎臓がんとの闘いに終始していたのである。臨終の日午前、故人は夫人に「ビールを少し飲みたい」と伝えた、ビールを提供したところ少し飲み、「ああ、美味しかった」と感謝の意を漏らしていたとご家族から聞いた
それから間を置かずに安らかに息を引き取られた。「大往生」の一言である。最近、友人たちが長年、癌との闘いを繰り返して激痛の最中にあの世へ旅立って逝った光景を数多く目撃している。そのため、故田中氏の末期を勝手に想像していたが、安らかな旅立ちであったと聞いて安堵感を覚えた。故人の人柄を筆者流に表現すれば「我自制・他育成の人なり」。それで自然体で末期を迎えられたのであろう。
自身を語らない人
田中氏とは福岡日韓親善協会の韓国視察に3回同行させてもらった(同会会長の5代目として10年以上務めた)。視察先は釜山・ソウルであった。この3回の視察期間中、「自慢話」を1回も耳にしなかった。名を成した人と延べ100時間接触していれば自慢話――たとえば「九州新幹線の構想は私が社長のときに練りあげた!」などと聞くものだが、一言も漏らすことはなかった。
田中氏は初代社長の石井幸孝氏の後を継いで2代目社長に就いた。本業が赤字ということから事業の多角化推進していった。その為に強力な指導力が求められていた。田中氏はこう振り返った。「やるべき事業が明確になっていた段階であった。実績を積むには全社員がやる気を出して燃え上がらないと達成できない。社長が行うべき最優先の課題は全社員のモチベーションを持続させるということであるという核心を抱いていた」。筆者の造語であるが、「我自制・他育成」を実践していたのが田中氏である。JR九州のOBらからも「田中社長にはいろいろとお世話になった」という思い出話をしばしば耳にした。
どの役職にも全身全霊を尽くす
故人の福岡県日韓親善協会会長の働きぶりを見て、本当に全身全霊を尽くす人だと実感した。ソウルに行くと分かる。韓国側のカウンターパートの協会の人々への気配りは非常に細やかだ。それで信頼関係を早々に築くことができる。本当に感服することが多々あった。この「我自制」の姿勢を貫いてきたからこそ、数多くの「田中浩二ファン」を獲得したのであろう。
最後に「田中さん!もう一仕事していただきたかった!」と叫びたい。
合掌
【児玉 直】
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