KADOKAWA会長逮捕 蘇る角川兄弟の「お家騒動」の記憶(後)
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東京五輪汚職で、大会スポンサーだったKADOKAWAの角川歴彦会長が贈賄容疑で逮捕された。逮捕の背景には、天賦の才で一世を風靡した、兄・角川春樹氏への対抗心があったのではないか。「兄弟は他人の始まり」という。兄弟の確執が生じた角川書店の「お家騒動」を振り返ってみよう。
映画と書籍を同時に売り出す角川商法
KADOKAWAの創業は1945年、俳人で国文学者の角川源義氏が角川書店を立ち上げたことに始まる。角川文庫の成功で会社の礎を築いた。
源義氏の後を継いだのが長男の春樹氏(80)。國學院大学の学生時代は右派の学生として鳴らし、渋谷のハチ公前で、全学連の学生相手に大立ち回りした武勇伝が自慢だ。
1975年に社長に就いた春樹氏は毀誉褒貶の激しい人物で、ワンマンで傍若無人。その反面、斬新なアイデアの持ち主で、角川映画を始めるなどマルチメディアの先駆けとなった。
エンターテインメントを中心とした文庫戦略をとり、それまで名作文学や古典中心の文庫の在り方を転換。映画と書籍を同時に売り出す手法は「角川商法」といわれたが、長くは続かなかった。春樹氏が手がける映画事業が不振に陥り、メディアミックス路線は破綻した。
3年続いたお家騒動
弟の歴彦氏は早稲田大学政経学部卒。角川書店は、歴彦氏が育てたテレビ情報誌『ザテレビジョン』や都市生活情報誌『東京ウォーカー』が収益を支えた。
春樹路線に危機感を抱いていた歴彦氏が、こうした自分の業績を背景に、兄に忠告した。春樹氏は歴彦氏に会社を乗っ取られるのではないかと危惧を抱く。90年から93年にかけて、角川書店はお家騒動に揺れた。
春樹氏が米南カリフォルニア大学を出たばかりの息子の太郎氏を後継者として入社させたことから、対立が表面化した。92年9月、歴彦氏は角川書店副社長を解任され、春樹氏の長男、太郎氏が取締役に就任した。角川書店は骨肉の争いで分裂した。
太郎氏は男性部下へのセクハラ疑惑で93年2月提訴された。「男性から男性へのセクハラ裁判」は国内初として注目を集め、結局、太郎氏は退社した。
1993年8月、春樹氏はいわゆる「コカイン密輸事件」で千葉南警察署に逮捕された。(2000年最高裁で懲役4年の実刑が確定)。春樹氏は角川書店社長を解任され、前年に副社長を追われた歴彦氏が帰り咲いた。歴彦氏は93年10月に社長に就任。
春樹氏との骨肉の争いがトラウマとなった歴彦氏は、経営の民主化を掲げ、創業家が大半を所有していた株を売り、同族経営から決別を決断することになる。
見城氏が綴った春樹社長追い落としの内幕
歴彦氏の“天敵”といえる見城徹氏は、慶應義塾大学法学部卒。75年角川書店に入社。『月刊カドカワ』の編集長となり、部数を30倍にして春樹社長の信頼を得た。
見城氏は春樹社長とともに、『犬神家の一族』などの角川映画で一世を風靡。41歳で取締役編集部長に昇進した。
93年、「コカイン密輸事件」で春樹社長が解任されたため、歴彦氏が社長に就いた。春樹社長の側近ナンバーワンだった見城氏は、歴彦社長体制に見切りをつけ、角川書店を退任。1993年11月、幻冬舎を設立した。
それから30年。見城氏は春樹社長が追い落とされた遺恨を忘れることはなかった。KADOKAWAの東京五輪汚職が報じられると、春樹社長の解任劇の内幕を自身のツイッターでトークした。以下、そこからの引用。
〈角川春樹氏によって角川書店から追放されていた角川歴彦氏が千葉県警と組んだ角川コカイン事件。計略通り角川春樹氏は逮捕され、角川歴彦氏は角川書店(現・KADOKAWA)の取締役に返り咲き、代表取締役の座に就いた。
30年の時を経て因果はめぐる。物語は角川歴彦氏の逮捕によってしか完結しないように見える。さて、角川歴彦氏は逃げ切れるか?〉
社長だった兄の春樹氏の逮捕から約30年。東京五輪汚職事件で、今度は会社の再建と改革の先頭に立ってきた弟の歴彦氏が逮捕されるという異例な事態に発展した。
見城氏は、前出の生配信で「有罪となろうと無罪になろうと歴彦さんは辞任せざるを得ない」と会長職の辞任は避けられないという見方を示している。怨念の30年だ。
(了)
【森村 和男】
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