アテンション・エコノミーという新資本主義~「注意」を制する者が、経済を制する
いま、世界の経済地図は「資源の奪い合い」という古典的ゲームから、「注意の取り合い」という新たなルールに変わりつつある。人間の時間と意識は、24時間という絶対的な制限のなかにあり、デジタル化の進展とともにこの希少資源=「注意(アテンション)」が、経済の最重要資本として再定義されている。広告ばかりでなく、製品開発から空間設計、マーケティング、さらには組織戦略に至るまで、アテンション・エコノミーは企業経営のあらゆる領域に浸透しつつある。
現代人を取り巻く 注意をめぐる環境変化
アテンション・エコノミー(注意経済)とは、現代社会において「注意(attention)」が最も価値ある資源と見なされ、それをめぐって熾烈な競争が展開される経済構造のことをいう。アテンション・エコノミーを最初に提唱したのは、ノーベル経済学賞を受賞したハーバート・サイモンだ。彼は1970年代に「情報が豊かになるほど、それを受け取る側の注意は貧しくなる。結果として情報の豊かさは注意の貧困をもたらす」と述べていた。つまり、情報が無限にあふれる社会では、どんな情報を提供するかはもはや価値を生まず、「何に注意を向けさせるか」が支配関係を決め、経済的価値の核心になるということだ。
この構造は、2000年代にインターネットが世界的に普及し、Facebook、YouTube、X(旧・Twitter)、Instagram、TikTokが登場して以降、露骨なかたちで現れるようになった。これらの企業のビジネスモデルは、ユーザーの利用時間を最大化し、その間に表示される広告の回数と精度を高めることで利益を得るというものだ。言い換えると、「私がどれだけそのアプリに滞在しているか」「私が何を見て、何に反応したか」が、そのまま企業の売上に直結する。ユーザーはお金を払わない代わりに、自分の意識、感情、思考の断片を提供する。それが価値ある「商品」としてやりとりされる経済が成立する。
アルゴリズムは、ユーザーの過去の行動履歴を学習し、その人が反応しそうな情報をピックアップして次々と表示する。YouTubeのおすすめ欄、Xのタイムラインはいずれも、ユーザーの注意をどれだけ多く引き、反応が得られ、接続が維持され、拡張につながるかということで最適化されている。
現代社会では、仕事、娯楽、普段の生活を問わず、あらゆる活動がデジタル空間で行われるようになったことで、ユーザーの1日24時間という有限なリソースがどのアプリ、どのコンテンツにどれだけ割かれるかをめぐって熾烈な争奪戦が行われるようになった。この争奪戦に勝つために、露骨なプラットフォーマーは人間の認知的・生理的な「中毒性」さえ利用する。SNSは、通知音や「いいね」の数、リツイート数などによって、ユーザーの神経の報酬系(ドーパミン)を刺激する設計になっている。これは心理学的・神経科学的に仕掛けられた「アルゴリズムによる依存症」を引き起こし、ユーザーを神経生理的に抜け出しにくい構造をつくり出している。
注意と意識を補助する「環境設計」という視点
だが、アテンション・エコノミーを否定的な文脈だけで論じることは適切ではない。その経済はすでに私たちをとりまく当たり前の環境となっており、問題がある活動をその経済構造から排除するには、むしろ積極的に評価することができるアテンション・エコノミーの活動を創出していくような発想の転換が必要だ。
また、アテンション・エコノミーは、決してITプラットフォーマーだけの話ではない。むしろ現在では、あらゆる産業が「注意設計(attentional design)」という名の経営戦略に直面している。
たとえば無印良品は、単なる生活雑貨ではなく、「感じのよい生活空間」を演出する店舗設計で知られる。香り、照明、音響、導線までを一貫して設計し、顧客の滞在時間と購買意欲を高める仕組みが、細部にわたって構築されている。ここでは「何を置くか」ではなく、「どう感じさせ、どう意識を導くか」が、経済価値を生み出すカギとなっている。
つまり、アテンション・エコノミーは単なる時間の奪い合いではなく、「感情の設計」と「価値ある注意の創出」という高度な戦略に進化している。
世界で最も広く使われている無料の語学学習プラットフォームの1つDuolingoは、アテンション・エコノミーの仕組みを単に「学習に人を引きつける道具」としてではなく、学習効果そのものを高める設計原理として活用している。「注意の持続」や「感情的な関与」を記憶の定着や理解の深化に結び付けている。
まず、Duolingoは1回の学習時間を短く設定し、学習者が「飽きる前に完了」できるようにすることで、集中力が高い状態での繰り返し学習を可能にしている。次に、ゲーミフィケーションによって注意を「続けたいという欲望」に変換し、日々の使用を習慣化させる。これにより、脳が「報酬系」を通じて学びを快と結びつける構造が形成され、学習動機の内面化を促進される。さらに、ユーザーが過去にどこで集中が切れたかなどを基に、出題内容やタイミングを調整する。このようにしてDuolingoは、ユーザーの注意を、効果的な学習の創出に利用している。
注意へのアプローチによる新しい切り口の創出
MIT発のベンチャー企業Affectivaが展開する「Emotion AI」は、表情や声の変化、さらには姿勢や視線などから人間の感情状態や認知的負荷を解析する技術であり、現代のアテンション・エコノミーにおける中核的なインフラの1つといえる。この技術は、単に「笑った」「驚いた」といった反応を分類するものではなく、感情の深度や変化のプロセス、視覚・聴覚的刺激との関連性など、より複雑な「情動の文脈(emotional context)」をリアルタイムに捉えることを目指している。
AffectivaのEmotion AIは、単なる感情の可視化ツールではなく、マーケティング、プロダクトデザイン、モビリティ、エンターテインメントなど、あらゆる領域で「感情という無形資産」を戦略的資源に転換する装置として機能している。アテンション・エコノミーの成熟にともない、単に人々の目を引くのではなく、「どのような感情で、どのようにブランドと向き合っているか」という構造的理解が、競争優位を生む時代に突入している。Affectivaの技術はまさにその潮流の中心で、人間とテクノロジーの関係性を再設計しようとしている。
「注意の価値」は、Z世代以降の消費スタイルにもはっきりと表れている。短尺動画文化におけるミーム的コンテンツ(繰り返し視聴、再編集、共感の拡散)に代表されるように、「見られる価値」ではなく「参加できる価値」「再生産できる価値」こそが、ブランドの命運を分けつつある。ナイキやグッチといったラグジュアリーブランドも、TikTok専用のフォーマットや映像テンプレートを用いて、「注意の再生産構造」を組み込み、ユーザーとブランドの関係性を立体的に構築している。
モノから意識の価値へ それをいかに継続するか
こうした構造を俯瞰すれば、アテンション・エコノミーとは、単なる時間の奪い合いではなく、「関心を耕す経済」であることが見えてくる。企業は単に人々の注意を奪うのではなく、そこに意味・感情・記憶・信頼といった非金銭的価値を埋め込むことで、経済的対価を得る。それはまさに、20世紀的な「物の価値」から、21世紀的な「意識の価値」への大転換にほかならない。
今後、アテンション・エコノミーを本格的に活用していくためには、「注意を引く」ことから「注意を維持する」ことへのシフトが不可欠だ。たとえばNetflixは、単なる視聴履歴ではなく、視聴時間帯や曜日、ユーザーの心理状態まで含めた「文脈的レコメンド」を開始している。深夜には静かな映像作品、朝には軽快なエンタメといったかたちで、ユーザーの感情リズムに沿って「注意の配置」を行う。このような「コンテンツからコンテクストへ」の流れは、企業戦略全体にとって重要なヒントを提供する。
また、サブスクリプション型ビジネスもアテンション設計の典型例である。NetflixやSpotifyといったデジタルコンテンツにとどまらず、食料品・日用品の定期便や衣料レンタルといったリアル系サブスクでも、「日常生活に自然に組み込まれる注意の場」をどう確保するかがカギとなっている。顧客が企業と取引を開始してから終了するまでの期間に企業にもたらす利益(顧客生涯価値、LTV)を高めるには、企業は商品そのものばかりでなく、「注意が滞在する場所」を設計する力が問われる時代になりつつある。
アテンション・エコノミーの存在感が増した今、商品経済の活動においてもその文脈は無視することができない。すなわち、「自社は何を売っているか」ばかりでなく、「顧客の注意をどこにどう導いているか」が重要であり、モノをつくることも、広告を打つことも、接客を設計することも、すべては「どんな文脈で、どんな感情で、どれくらいの時間、顧客が自社に向き合ってくれるか」にかかっている。アテンション・エコノミーは、その意味で「感情を資本化する経済」であり、「無意識と感情を含んだ新しいマーケット」である。
【寺村朋輝】