2024年09月16日( 月 )

憲法第9条について考える(中)護憲論の根拠の根拠

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作家 金堀 豊

 以下の論は、安倍晋三元首相が提唱していた改憲問題と関連するものだが、問題の設定の仕方が根本的に異なる。安倍氏の論は、すでに存在する自衛隊の機能を変更することを、憲法上の記載を修正することで可能にしようというものであった。これに対して、私が議論しようとするのは、根本に立ち返って、そもそも憲法とは何で、憲法第9条は改正すべきものなのか、それを考えるものである。

 憲法第9条はどうしても守り続けなくてはならないと考える人は、案外に多い。第9条で日本の平和が守られていると漠然ながら感じている人は、さらに多いかもしれない。戦争は嫌だ、死にたくない、人を殺したくもない、だから、平和がいい。だから、平和を保障する憲法第9条は大切だ、というわけである。

 ケンブリッジ大学出の国際関係史の専門家がある時こんなことを言っていた。「平和憲法はカントの理想を実現したもの。イギリスにはホッブスがいて、もっと現実的な見方をしている。日本の憲法は、イギリス的には非現実的だ」と。

 確かに、カントの永久平和論は理想論であり、ホッブスの現実主義とは対立する。国家が自己保存を目的とする絶対権力者であって、暴力もそのためには必要とされるとするホッブスは、戦争を避けられないものと考えていたのである。

 ただし、そういうホッブスも、「互いが滅ぼし合うまで戦争を続けるのは国家の存亡につながるので、国家は理性を行使して己の欲望に歯止めをかけなければならない」とも言っている。つまり、適当なところで妥協するのが国家を存続させることになるということで、平和協定の効力と必要性を認めているのである。近代の国際政治はこの原則に基づいている。

 日本国憲法は、その観点からすると例外中の例外である。このような憲法が制定されている日本を、原子爆弾の唯一の被爆国だという事実とあわせて考えると、日本は世界に対して憲法第9条を掲げることで原子力の戦争利用に抗議する姿勢を示している、ということになる。この考え方は一部の「良識」ある人々を喜ばせそうだが、核兵器への反対と戦争放棄は直接結びつかない。核兵器を使用することに反対しても、戦争をすることは可能だからである。

憲法第9条 イメージ    国際社会において憲法第9条が希少価値をもち、人類の理想を指し示すものとして評価されていることはたしかなようである。その恩恵をひしひしと感じた1人が、アフガニスタンで医療と治水に貢献した故・中村哲氏である。国際紛争の危険地帯に身を置いた氏は、日本国の平和憲法を示すことで自らの立場を守り、異国の人々に恩恵をもたらす活動に専心できたのである。

 平和憲法がどうして身分保証として役立つのかといえば、アフガニスタンのような所には欧米の支援団体も多くやって来るのだが、それらの背後に派遣国の軍事的あるいは経済的な思惑があるとアフガニスタン人は警戒してきたのである。日本からきた中村医師の場合は、活動が個人的であり、背後に政治的思惑が見られず、しかも憲法によって日本は軍事力のない国と判断されるため、活動がしやすかったようだ。平和憲法が思いのほかに役立ったのである。

 ところで、中村医師は国粋主義者ではなかったが、自分は天皇と憲法に守られていると実感していたようだ。では、氏の思っていた憲法と天皇の接点とは、一体なんだったのだろうか。

 考えられるのは、氏にとって、憲法も天皇もともに神聖だったということだ。憲法はアメリカが押しつけたものと見るよりも、天から授かったものと見たのではないか。三種の神器ならぬ降臨憲法。日本の天皇は、この憲法とともにあればこそ神聖なものとなるというヴィジョンだったようだ。

 もちろん、中村医師が本当にそう考えていたかはわからない。しかし、そのように憲法を見ることを、一概に間違った見方と断定はできないようにも思える。誰が押しつけたものであろうが、その中身が大事なのであって、その中身が類い稀なる宝石であるならば、これを「天からの授かりもの」と大事にしたいという発想は、あってもおかしくはない。

 こういう見方は、三島由紀夫のような理詰めの頭脳には理解しがたいものであろう。一種宗教的な憲法観、神秘的な憲法観なのである。

 ところで、世の護憲論者は自衛隊をどうとらえているのだろうか。平和憲法に忠実であれば、自衛隊を廃止に追い込まねばならない。日本は一切軍隊をもたないと謳っている以上、自衛隊の存在はあり得ないからだ。多くの護憲論者がこの点をあいまいにしているのは納得がいかない。

 平和憲法を天授と見るなら、神の国日本としてこれを大切にし、それを武器に世界に君臨するのが良い。アメリカが軍隊をもてと言ってきても、この憲法はマッカーサー元帥がくれたのではなく天から授かった神聖なものなのだから、と突っぱねることができたはずなのである。問題は、そこまでしっかりした論拠、あるいは信念をもたずに護憲を唱える人が多いことだ。それだから、「9条を守ろう」という掛け声は、現実主義者から馬鹿にされるのである。

 護憲論者は自分たちがどうして憲法9条を守りたいのか、そこを徹底的に自問すべきであろう。それをしないかぎり、彼らに勝ち目はない。

(つづく)

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