2024年09月16日( 月 )

憲法第9条について考える(後)憲法は本当に必要か?

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作家 金堀 豊

 以下の論は、安倍晋三元首相が提唱していた改憲問題と関連するものだが、問題の設定の仕方が根本的に異なる。安倍氏の論は、すでに存在する自衛隊の機能を変更することを、憲法上の記載を修正することで可能にしようというものであった。これに対して、私が議論しようとするのは、根本に立ち返って、そもそも憲法とは何で、憲法第9条は改正すべきものなのか、それを考えるものである。

日本と世界 イメージ    これまで改憲論と護憲論を見てきたが、そもそも改憲議論はどこまで有効なのだろうか。現時点で軍隊をもつということがどういう意味をもつのか、それを考えなくては話が始まらない気がする。

 というのも、この21世紀においては戦争そのものの性格が変わってきていると思えるからだ。気候変動だけでなく、政治上も大きな変動が生じている。

 半世紀遡ると米国とソ連の対立があって、その背後にイデオロギーと核兵器の問題があった。この2つのうちイデオロギーの方は力を失ったが、核兵器は依然として脅威である。

 一方、20世紀末から現在にかけての世界を見ると、米ソに代わって米中の対立が目立ってきた。しかし、こちらの対立は軍事的というより経済的なもの、あるいは情報戦略的なもので、軍隊の役割はかつてと比べて小さくなっている。

 しかし、ウクライナ侵攻のロシアを見ても、NATO強化に走るアメリカを見ても、両国ともいまだに20世紀的発想から抜け出せていない。まだまだ軍隊に頼っているのだ。対抗馬の中国はというと、軍事力強化を進めてはいるが、本気で戦争する気がないように見える。

 中国にとって重要なのは自らの経済力を維持することと、国内の安寧秩序である。対外戦争は少しも得にならないと見ているようだ。一見して外への勢力拡大を目論んで見える中国だが、彼らが恐れているのは外敵ではなく、内部の反乱である。それを封じ込めるために、「一帯一路」や「ゼロ・コロナ政策」を打ち出して、「中国は世界一」を対内的にアピールしようとしているのである。

 そのような国際情勢下において、憲法の一部をいじって自衛隊を正式の軍隊にしようという発想そのものが時代遅れと思われる。これはどう見ても日本側の願望であるというよりは、アメリカの世界支配の願望の産物と思われるのである。銃社会という古い体質から抜け出せないアメリカの思惑に、このまま屈してよいものか。

 アメリカの思惑といえば、恐ろしい話をある若者から聞いたことがある。若者といっても30代後半の食品輸入業者だが、彼によると、日本の食糧はアメリカによって大いに毒されているという。「敗戦国」である日本はアメリカに頭が上がらず、食糧関係でも言いなりになっているというのだ。

 彼の話がどこまで本当かは測りかねたが、たとえばアメリカからの牛肉は、発癌物質を含んでいる可能性があっても検査が甘く、スーパーで平気で売られているという。しかもそれが売れれば癌患者が増えるから、アメリカ製の抗癌剤がよく売れるという筋書きになっているというのだ。

 彼はそこまでしか言わなかったが、それを聞いていて思ったのがコロナ・ワクチンである。とくにワクチンに反対するわけでもない私ではあるが、ワクチンの背後に、アメリカの戦略があると言われれば嘘だとは確言できない。

 今ここで問題にしている日本国憲法の改正にしても、アメリカの戦略の一部と見なすべきであろう。安倍氏は自身を大の愛国者と思い、憲法改正を自分の使命だと本気で思っていたかもしれないが、そうだとすれば、彼にはアメリカがまったく見えていなかったのである

 現代世界がアメリカの一人勝ちであることは間違いない。問題は、そこからいかにして自立するかである。安倍氏だけでなく、日本の多くの政治家にそれが見えていない。相当に深刻な事態だ。

 アメリカはその出発点からしてすでに近代だった。彼らは中世も古代も知らぬ、根無し草なのである。そのことを彼らに見せつけたのが、今回の英女王エリザベス2世の国葬である。英国の軍事力と経済力は侮れないが、今回彼らが世界に示したのは女王という中世の遺物と、それを支えようとする英国民の姿である。

 日本には皇室があり、英王室に対する親近感がある。米国は共和国で、王侯貴族とは縁がない。だから、英王室はアメリカ人にとって自分たちに欠けるものの象徴なのである。今度の国葬に対するアメリカ国民の熱狂ぶりが、そのことを物語っている。

 女王の国葬と憲法問題とは関係がある。英国王あるいは女王は名目上、英国国教会の長、英国軍の長、同時に英国民と56カ国からなるイギリス連邦の長であるが、そのようなイギリスに「憲法」というものがないからだ。憲法とは国家の基礎を示す法典であるが、それがない国がイギリスなのである。

 このことから新たな提案が浮かび上がってくる。「憲法をもたない日本」という提案である。三島由紀夫は憲法を国の根本と考えたが、それは彼が明治政府と同じくドイツの憲法をモデルに考えたからである。ドイツも、アメリカも、中国も、フランスも、国王をもたないがゆえに憲法をもつ。一方、イギリスは王室があることによって憲法をもたず、憲法がないことを問題ともしていない。

 天皇を戴く日本を考えるにあたって、このことにはどうしても触れておきたいと思った。日本が憲法をもたない国になることもあり得る、と言っておきたい。

 以上、憲法をさまざまな観点から検討してみた。ひろく議論を喚起するためである。

(了)

(中)

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