【縄文道通信第96号】古神道の系譜と大思想家平田篤胤
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(一社)縄文道研究所
代表理事 加藤 春一 氏NetIB-Newsでは、(一社)縄文道研究所の「縄文道通信」を掲載していく。
今回は第96号の記事を紹介する。縄文道通信86号で、神道の起源は縄文時代の原始神道から古神道につながり、日本精神の根幹を成すことに触れた。
日本人の精神性の系譜は原始神道が源流で基層でもあり、この精神は約1万4,000年継続した縄文時代に形成されたといえる。
この基本の精神性(霊性)は、紀元前660年の神武天皇以降古神道につながり、古事記(712年)、日本書紀(720年)の成立以降の神道に大きな影響を与えた。
仏教は538年に正式に導入され、そして神仏習合が定着したのは10世紀頃といわれる。
神仏習合は日本が生み出した融合の精神の代表といえるもので、明治維新による神仏分離まで約800年間続いた。
この神仏習合をはじめとした日本古来のものの考え方を扱うのが、江戸自体中期に勃興した国学である。
とくに、ロシア艦隊(アダム・ラクスマンの根室来航、1792年)が日本に押し寄せ、極めて世相が混乱していた時期と前後して登場したのが、国学四天王といわれる荷田春満、賀茂真淵、本居宣長、平田篤胤である。筆者は「国学最後の巨人」ともいえる大思想家の平田篤胤を最も評価している。
平田篤胤の思想と人生の一端を紹介したい。
平田篤胤(1776-1843)は秋田藩出身。若くして脱藩して江戸で火消し、車夫、飯盛り等々さまざまな職業を転々としながら学問に励む。偶然松山藩の平田家の養子の縁が出来、平田家の職、山鹿流兵法との出会いがあった。兵学を学び、さらに西洋医学や地理学、天文学も身につけ、若くして思索と執筆に打ち込み始めた。
篤胤の生きた江戸中期から晩期は、先に触れたロシア船の来航や、国内は社会不安が横溢していた。そのような世相のなかで儒学や蘭学と言った海外の学問がはやり、日本は本来の日本を取り戻さねばならないという思想的雰囲気のなかにあった。
篤胤は国学者、本居宣長を書籍を通じて尊敬し、最終的に日本本来の復古神道に辿り着いた。とくに篤胤の宗教思想家としての名声を確立した著作『霊能真柱(たまのまばしら)』(1812年)は、神という概念をキリスト教の『聖書』を通じて取り入れたといわれる。
『霊能真柱』において、篤胤は中国語に訳されたカトリックの『公教要理』や『聖書』を徹底的に研究し、霊魂の在り方を追求して日本化している。「神」という概念を、日本神話で日本を創造した大国主命に置き換え、幽冥界の支配者として最終審判をさせる。そしてキリストの役を現生の支配者としての天照大神、さらにその後継者としての天皇と民衆という図式を構成した。
神という概念と霊魂を徹底的に追及した、日本初の大思想家といえる。
日本はよく多神教の国だといわれるが、篤胤は日本を一神教だと捉えていたように思える。
日本では東大寺の宗派、華厳宗は多即一、一即多と一と多を同じと定義している。
西欧の世界では、19世紀の天才的数学者ゲオルグ・カントール(1845-1918)が集合論、部分論、べき論で、一と多は数学論では同じだと解明した。
また、世界的な宗教学者のジョン・ヒック(1922-2012)は『神は多くの名前をもつ』という有名な著書で新しい宗教的多元論を提唱している。この著作は間瀬啓充・慶応大学教授の訳(岩波新書)がある。なお、この多元論に影響を受けたのがカトリック作家の遠藤周作だ。
以上歴史的に鳥瞰しても、平田篤胤の思想的偉大さが理解できると思う。兵学、医学、地理学、天文学、さらには聖書の世界も理解していた。
篤胤は日本人の思想家として神の概念を明確化した、類まれな思想家であった。篤胤は塾や神社、神官(吉田家、白川家)を通じて多くの弟子を育てた。最終的には日本中に4,200人の弟子が、篤胤の思想を継承し、明治維新成立の思想的基盤と、その後の国家神道を生み出した(筆者は国家神道には否定的な立場である)。
篤胤への評価はさまざまだが、日本人の思想史の源流である古神道を体系として明確化した点は大きいと思う。
平田篤胤については、渡部由輝『平田篤胤 その思想と人生』(無明舎出版)、吉田真樹『平田篤胤 霊魂のゆくえ』(講談社)の一読をお薦めする。
日本は戦後初めての危機に瀕している。気候変動、コロナ、ウクライナ危機、台湾有事と同時にDX、AI 、ロボット技術と、大変なスピードで危機対応に迫られているのだ。
この危機をチャンスに変えるのは、再度、勇気ある挑戦者、冒険者であった縄文人の精神だろう。
以下、縄文人の精神をあらわす3つの仮説を紹介したい。
1.縄文人はホモサピエンスの出アフリカ以来、約10万年を超える旅を終えて日本列島に到着した雑種民族で、進取の気性と創意工夫の精神をもっていた。
2.日本列島到着以降、進取の気性と創意工夫の精神で、世界に誇り得る道具と材料の磨製石器、縄文土器、漆を発明した。
3.さらにこの1万4,000年の間、ユーラシア、シベリア、ベーリング海峡、南北アメリカ、インドネシア、インド洋、南太平洋ポリネシアの5つのルートで世界へ雄飛した足跡も想定できる。
前田良一『縄文人 はるかなる旅の謎』(毎日新聞社)は、夢のある足跡を追い求めた縄文人を描いていて、縄文文化に夢を与えてくれる。
さらに澤田健一『古代文明と縄文人』(柏艪社)は「縄文人はアイヌ人で 世界のすべての文明は縄文人-アイヌ人に影響を受けた」という興味深い考察をされている。澤田氏とは彼の講演会で出会い、説得力のある話と見識に触れたが、従来の常識を根底から破る縄文人への見方を感じ取れた。
以上の長い歴史に加えて、近代史では平田篤胤の影響を受けて、草莽崛起を興した明治維新の志士たちの気概と志をもてば、日本復元と将来の持続成長の道は拓けると確信する。
先日東京・代々木の平田神社を訪ねてみた。
神社には、平田篤胤は 宗教家、思想家、教育者、学者として 卓越した足跡を残した偉大な人物だと記されていた。
故梅原猛氏の「縄文文化が日本人の環境適応の力、日本文化の力、そして復元力を形成した」というメッセージを参考に、この3つの力を「縄文の法則」として日本の復元を期待したい。
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