あの日見た中村俊輔は苦しんでいた~引退に寄せて
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元日本代表MF中村俊輔が、現役を引退することになった。18日、所属のJ2横浜FCがホームページで発表した。
中村は1978年生まれの44歳。横浜F・マリノスの下部組織からキャリアをスタートし、イタリア・セリエAのレッジーナ、スコットランドプレミアリーグのセルティックなどヨーロッパでも8シーズンにわたってプレー。帰国後はマリノスからジュビロ磐田を経て、2019年から横浜FCに所属していた。
日本代表としては、2000年のシドニーオリンピックに出場。同年のアジアカップで大活躍したこともあり、2002年の日韓共催W杯への出場が期待されたが、当時のフィリップ・トルシエ監督の構想から外れて落選。2006年ドイツW杯、2010年南アフリカW杯では代表に選出されたものの故障や体調不良が重なり、目立った結果は残せなかった。日本を代表する名MFだが、中村はW杯とは縁が薄かった。
だが、所属クラブでの活躍はそれを補って余りあるものがある。左足で蹴るフリーキックの精度と変化、スピードは世界レベルで、ヨーロッパの選手や監督たちは口々にその技術の高さを称賛していた。特にセルティック時代は、2006年にUEFAチャンピオンズリーグでのマンチェスター・ユナイテッド戦で決めた芸術的なFKが今でもクラブ史上に残る伝説となっている。
筆者個人としては、2006年ドイツW杯の初戦・オーストラリア戦を現地カイザースラウテルンのスタジアムで食い入るように見つめた記憶が懐かしい。強烈な日差しで噴き出した汗があっという間に乾燥していくドイツの気候は日本の6月とはまったく違い、日本代表の動きは心なしか重たく見えた。特に、不調が伝えられていた中村はオーストラリア選手の厳しい当たりに苦しみ、彼らしいプレーからは程遠く見えた。
だが前半26分、その中村が右サイドから上げたやわらかいクロスがオーストラリアGKシュウォーツァーの頭上を越えてゴールに吸い込まれ、日本が望外の先制点を奪う。「これはいけるかもしれない……!」日本人サポーターが詰めかけたスタンドは一気に盛り上がる。
しかし、待っていたのは日本サッカー史上に残る悲劇だった。暑さで足が止まり始めた日本代表に対し、オーストラリアは次々と強力なFW陣を投入。そして83分、ゴール前の混戦からMFケーヒルに同点ゴールを許すと、88分にまたもMFケーヒルが豪快なミドルシュートを叩き込む。92分にはMFアロイージがとどめの3点目を決め、日本代表は1-3で敗れた。
「海外のW杯で日本代表が勝つ時代は、まだ来ないのか……」能天気に記念写真を撮る日本人サポーターを横目に、唇を嚙む思いでスタジアムを後にした。ビール片手に酔っ払ったオーストラリア人サポーターから「まあ、こんな試合もあるよ!」と慰められたことを思い出す。
もし日本代表が中村のゴールを守り切って勝利していたら、その後の俊輔のサッカー人生はまた変わっていたのだろうか。中村引退の発表を見ながら、そんなことを考えていた。あの日、ピッチに立っていた選手の多くは現役を退いた。だが、元アビスパ福岡DF駒野友一、ジュビロ磐田MF遠藤保仁、コンサドーレ札幌MF小野伸二ら、今も躍動し続ける選手たちもいる。
2022年カタールW杯では、どんなドラマが生まれるのだろうか。そして、そこから世界で羽ばたく日本人選手がどれだけ登場するのだろうか。そう、今もスコットランドの英雄である中村のように。
【深水 央】
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