円急落が「デフレ均衡」を瓦解させる(前)
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NetIB‐Newsでは、(株)武者リサーチの「ストラテジーブレティン」を掲載している。
今回は10月25日号の「円急落が『デフレ均衡』を瓦解させる」を紹介する。円安の嵐は、豊かな日本を呼び戻すトリガーになる可能性は高い。
・名目成長ゼロ・物価上昇率ゼロ・金利ゼロの頑強な安定(「デフレ均衡」)が続いたのは、日本からの資本漏出(=ビジネス機会の漏出)が続いていたからである。
・超円安は、日本経済に全く寄与しない形でため込まれていた巨額の対外資産の国内還流を引き起こし、日本に固く定着したゼロ・ゼロ・ゼロの「デフレ均衡」を瓦解させるトリガーになる、と考えられる。
・政策担当者の構想力が強く求められる局面である。
(1)失われた30年を強固にした「デフレ均衡」
デフレでなぜ長期安定がもたらされたのか
本来デフレは均衡しない。デフレとは資本が増殖を求めて価値形態が変態をすることを止め、貨幣のままでとどまることを強制するものである。よって必然的に大恐慌などのように経済収縮のスパイラルをもたらす、との考えが2000年頃までの経済学の常識であった。しかし日本では、「デフレ均衡」というデフレ下での強固な経済安定が長らく定着した。デフレ下でもマイルドな実質成長はあり、国民生活の破局は免れた。また日本では欧米のような成長に基づく格差拡大、中間層の落ちこぼれによる社会分断、ポピュリズムの台頭などの現象は顕著にはなっていない。そうしたことから成長を追求しなくてもよいではないか、という「下山の思想」「脱成長の定常社会」など、停滞肯定思想も蔓延してきた(注)。
名目成長ゼロ・金利ゼロ・インフレゼロ、が何故定着したのか
この日本に定着した、名目成長ゼロ・物価上昇率ゼロ・金利ゼロの頑強な安定が、「デフレ均衡」の実態である、と考えられる。この頑強な「デフレ均衡」が、いま円の急落により崩れようとしているのではないか、というのが本レポートの趣旨である。
それにしても、世界全体が急速な技術発展と共に成長する中で、なぜ日本だけ中世の農耕社会のような停滞が強固に長く続いたのであろうか。日本においても2000年以降の世界成長をけん引したデジタルネット革命は浸透し、労働生産性ははっきりと上昇していた。またグローバリゼーションにより、海外の低賃金労働の活用という所得の源泉も欧米同様に存在していた。そうした時代背景の中で、なぜ日本にだけかくも強固な停滞の状況が続いたのだろうか。
(2)「デフレ均衡」を固定化させた巨額の資本流出、企業の海外シフト
「デフレ均衡」下でも、生産性は上昇し利益は増加し、株価も上がった
よく見ると日本のすべてが停滞していたわけではなかった。一人当たり労働生産性は上昇していた。企業利益は顕著に増加した。株価も2013年以降は大きく上昇した。にもかかわらず、名目成長ゼロ・物価上昇率ゼロ・金利ゼロの頑強な安定が続いたのは、日本からの資本漏出(=ビジネス機会の漏出)が続いていたから、と大雑把に考えて間違いではないだろう。
図表1は企業における一人当たりの物的生産性、付加価値生産性、労働報酬の推移であるが、日本企業は世界的技術発展の恩恵を受け、物的生産性をそれなりに上昇させてきた。にもかかわらず、円高とデフレによる販売価格低下により、企業には生産性上昇の果実が残らず、付加価値生産性は横ばいであった。しかし労働報酬はそれ以上に抑制され、それによって企業利益が確保された、という関連が明白に見て取れる。
企業、銀行、機関投資家はこぞって貯蓄を海外投資に振り向けた
日本企業は円高と国内需要の蒸発という環境に対して、海外生産移転、海外事業拡大で対応した。海外投資を拡大し、海外所得依存を高め、増加した連結収益を海外に再投資することで、成長を続けることが出来た。他方、企業は国内投資を抑制し、財務レバレッジを低下させた(内部留保を拡大した)。
図表2は日米の名目GDPとGNI(GDP+海外所得)の推移であるが、GDP(国内での価値創造)は全く停滞していたが、それに海外所得を加えたGNIは米国ほどではないが成長していたことがわかる。
日本は大英帝国のような「金利生活国」になった
日本企業は最初は円高に対応して、そして後には需要成長を求めて海外ビジネスを急拡大させてきた。その結果日本は貿易で稼ぐ国から海外投資で稼ぐ国に変わったことは、図表3の日本の経常収支の内訳推移をみれば明瞭である。この海外投資収益依存の所得構成が極めて特異であることは、図表4の各国比較から明らかである。日本以外の全ての経常黒字国は、貿易で稼いでいるのである。
この海外投資の急増は図表5に顕著に表れている。企業の海外投資残高は2003年の22兆円から急増し2021年には172兆円へと、増加した。停滞日本の下でも企業所得は増加し資本の蓄積は続いたが、それは高いリターンを求めて海外に流出したのである。
日本の金融機関もまた海外への投融資を激増させた。図表6は主要国の対外投融資残高の推移をみたものであるが、リーマンショック以降日本の銀行の対外投融資は2009年第1四半期末の2兆ドルから2022年第1四半期末には5兆ドルへと増加した。10年余りでの3兆ドル(400兆円)という突出した増加により日本の銀行は海外収益基盤を確保したが、それは巨額の国富が海外に漏出したとも言えた。もっとも日本の銀行は同時に外貨建て負債を増加させ、ドル資金の短期調達、長期貸しポジションを高めてきたので、対外投融資増加が全て国内からの資金漏出ではない。
資本流出は日本企業による海外企業買収、日本の投資家による外貨資産運用などによっても、加速した。
その一例はGPIFによる外国株式、外国債券投資の急増に見られる。2009年まで15%程度に過ぎなかった外国証券の比率は2021年には50%に達した。このGPIFのポートフォリオの多様化、海外証券投資シフトにゆうちょ銀行をはじめ多くの機関投資家が追随した。
「デフレ均衡」=技術進歩と生産性向上の果実の海外漏出
以上のように日本には技術革新と生産性上昇の成果が残らず、海外に漏出するという形の均衡状態が20年余りにわたって続いたのである。その結果、日本は国内の停滞とは裏腹に海外投資を積み上げ、突出する世界最大の対外純資産国となった。いわば大英帝国と同様、「海外資産による金利生活国」となったのである。
─注─
より正確に述べれば、GDPデフレーターは1998~2013年までは低下し続けたが、以降は上昇に転じており、厳密には2013年以降は「デフレ均衡」状態とは言えない。しかし2013年以降も、名目経済成長ほぼゼロ、消費税増税の影響を除けば、CPIもゼロ、金利もゼロ、という均衡状態が続いた。当レポートでは2013年以降も含めて続いた「ゼロ・ゼロ・ゼロの均衡状態」を「デフレ均衡」と概括している。(つづく)
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