「餃子の王将」社長射殺事件に急展開 黒幕に迫れるか(中)
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中華料理チェーン「餃子の王将」を展開する王将フードサービスの社長だった大東(おおひがし)隆行さん(当時72)が2013年12月、京都市山科区の本社前で射殺された事件は、一時は迷宮入りが囁かれていたが、ヒットマンが逮捕された。指示されたとされる黒幕に捜査の手が伸びるかが最大の焦点だ。
故郷に錦を飾る福岡センチュリーゴルフクラブ
第三者委の調査報告書は、不動産取引があった企業グループと経営者について具体的な名前を記載していない。Aが経営に関与する企業Bグループ、ゴルフ場運営会社はB1社と書かれている。
Aは“解同のドン”といわれた故・上杉佐一郎元部落解放同盟中央執行委員長の異母弟にあたる上杉昌也氏。Bグループは(株)京都通信機建設工業(京都市左京区)、B1社は(株)福岡センチュリーゴルフクラブ(福岡市中央区)である。
NetIB-Newsでは、福岡センチュリーゴルフクラブ倒産の舞台裏についての記事、コダマの核心「偉大な兄に泥を塗った、福岡センチュリーゴルフクラブ・上杉代表」を掲載(11年6月29日、30日付)した。
福岡地検が福岡県朝倉市にある上杉昌也氏の自宅を家宅捜索したときは、「王将社長射殺事件と福岡センチュリーゴルフクラブの接点」という記事を載せた(16年2月1日付)。
その後、第三者委の調査報告書の提出を受けて、「王将フードサービスの第三者委員会『調査報告書』を読む、福岡センチュリーゴルフクラブの上杉昌也氏とのズブズブな関係」(16年4月4日、5日付)でレポートした。
王将の創業者、故・加藤朝雄氏は福岡県飯塚市、解放同盟の上杉佐一郎氏は福岡県小郡市の出身。福岡県の目と鼻の先の同郷だったことから関係が築かれた。朝雄氏が王将の全国展開に乗り出す際、上杉氏が口利きしてメガバンクから数百億円を引っ張ってきたことはよく知られている。
朝雄氏と佐一郎氏は一心同体の絆で結ばれていた。その関係は佐一郎氏の異母弟の上杉昌也氏に引き継がれた。昌也氏は1944年の生まれ。佐一郎氏とは25歳の年齢差があり、親子ほど年が離れている。
上杉昌也氏は87年5月、ゴルフ場運営会社、福岡センチュリーゴルフクラブを設立。90年5月に甘木市(現・朝倉市)にゴルフ場をオープンした。佐一郎氏は福岡県小郡市の出身で、隣接した甘木市にゴルフ場をつくったのは、故郷に錦を飾る意味が込められていた。ちなみに佐一郎氏は小郡市の名誉市民だ。
佐一郎氏は昌也氏ともども美空ひばりと親交があり、美空ひばりが87年4月に福岡県済生会福岡総合病院に長期入院したのは、佐一郎氏の紹介による。
福岡センチュリーゴルフクラブのオープンを見届けた加藤朝雄氏と上杉佐一郎氏は相次いで亡くなった。朝雄氏は93年6月に68歳で、佐一郎氏は96年5月に77歳で他界した。
2人の関係は異母弟の昌也氏に引き継がれた。朝雄氏が逝去した際の社葬では、昌也氏が「友人代表」を務めた。
王将はオープンした福岡センチュリーゴルフクラブの支援を惜しまなかった。報告書によると、91年から93年までの間に、計6回、王将の取引先で構成される親睦団体「王将友の会」の親睦ゴルフ大会を福岡センチュリーゴルフクラブで開催した。「王将友の会」の設立発起人になったのは昌也氏だった。
朝雄氏が亡くなった後、王将の経営陣で昌也氏とのパイプを築いたのは、朝雄氏の長男で3代目社長・加藤潔氏と次男で経理部長を兼ねる専務の欣吾氏である。
(つづく)
【森村 和男】
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