溶けて溶けてどこへ行くの? 我々には覚悟はあるか~九州建設まで溶けるの、溶けないの(4)
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ついに直撃弾を浴びる
筆者は「100年超える老舗が成り上がり者に身を委ねるのはいかがなものか?」という疑問を抱き続けていたのである。九州建設も例外ではなかった。08年リーマンショックでデベロッパーの倒産が相次いだ。まず8年6月に(株)矢緒企画に5億円の不良債権が発生した。次にアルバコーポレーション(熊本市)には開き直られて鹿児島市の不動産を引き取る。同様にジェイファクトリー(福岡市)の物件の後始末処理を押しつけられた。行き詰った成り上がり者には怖いものはない。九州建設は駆け引きに負けたのだ。
さらに決定的になったのはユニカ(福岡市)の香椎浜大型物件の頓挫である。工事受注していた同社が困惑していた最中に、同様に受注していた高松組が09年5月に破産開始決定となった。世間は「九州建設も連鎖する」と騒ぎ立てた。この危機を長光社長が先頭に立って対処したかというと立ち往生したに過ぎない。やはり4代目ボンボンとして育て上げられたひ弱さが前面にでた。福銀主導で難関突破が為されたのだ。
業績推移(資料1)を参照されたし。09年5月期11億2,618万円、10年5月期3億16,151千円の赤字を連続計上している。このスビーディな危機克服の手立ては九州建設自力では無理だ。膿を一挙に出し切ってV字回復をさせるという再生常とう手段は経験者のみにしか完遂できない。それは福銀をおいてほかにはいないはずだ。現実として、11年5月期には86,453千円の利益を計上させている。見事、天晴な腕前と褒めるしかない。
【資料1:業績推移】
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福銀、再生の主導権を握り長光氏は社長を降りる
九州建設の危機対応を横目にしていた福銀が動いた。10年5月期を待って7月に78歳になった辻長英氏が社長・会長を兼任した。長光氏は副会長である。福銀からは山内征史氏が副社長に就任した。4人代表制を敷いたのである(資料2参照)。この経営人事体制を進言したのは長英氏であるという証言もある。長英氏が「自分の元気なうちに白黒決着をつける」と決断したようだ。だから今回のM&Aにも積極的な関与があったという指摘もある。
【資料2:2010年の役員構成】
福銀の手際はさすがであった。「福銀が九州建設を支配している」という巷の声を封殺する意味もあって新体制の2年後の12年7月には山内氏は役員から抜けて、福銀関係者はすべて役員から外れた(長光氏は代表会長、長英氏は代表名誉会長)。そして、生え抜きの得丸正英氏が社長に座った。M&A以降の同社の体制においても得丸氏は当分、社長職として続投されるそうだ。九州建設の商号は生かして、生え抜きで組織体制を維持することになっている。
長光氏も考え抜いた。「会社経営の立場に復帰しても今後、また地獄に直面することもある。建設業界が未来永劫、繁栄に時代が続くはずがない。ここはM&Aの一時金を握って身売りした方が老後は安泰だな」という結論に達したようだ。4代目としては当然の決断だ。批判される筋合いはない。「徳倉建設も手堅い先であるから社員達も安心して仕事ができる」という判断もあって、長光氏を筆頭にした辻家関係者が賛意を表したのである。長光氏の実父・長英氏の意向も影響があったということだ。これがM&A成功の第2の要因だ。
(つづく)
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