溶けて溶けてどこへ行くの? 我々には覚悟はあるか~九州建設まで溶けるの、溶けないの(6)
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マンション主体の下請けゼネコンは死体の山
高木工務店、東建設、大祥建設、橋詰工務店、善工務店などは九州建設と同様に福岡の老舗建設団体・福岡建設協力会のメンバーである。同社と比較すればこの5社は当然、業歴の日も浅い。上村建設創業者・上村實氏と同様に九州建設・辻長英氏には一目置いていた。それだけ当時の辻組(現在の九州建設)は松本組と双璧といえる実力・影響力を有していた。表だって逆らう素振りを示せば反撃を浴びるのが業界慣習であったのだ。
しかし、腹の中では「辻組をいつかは追い抜くぞ!!」と闘志を燃やしていた猛者ばかりであった。これら執念の具現は1997年売上ランキング資料(前記事シリーズ(5)を参照)で鮮明になっていた。高木工務店が九州建設を追い越したのだ(高木工務店3位、売上高177億4,235万円、九州建設4位、売上高165億8,145万円)。完工高で追い越せた要因は「マンション工事をいかに多く掴んだか」だけである。だが、高木工務店を筆頭にしたこれら5社は、マンション工事依存の罠に絡んで倒産・廃業の憂き目となった。
東正信氏の野望潰える
まず福岡市で最初に100億円企業になった東建設(本社・南区)は、デベロッパーへ積極的に不動産を持ち込んで受注に繋げた。2代目・東正信氏から聞いたことがある。「仲介業者から持ち込まれる案件が多すぎて、現場も見ずに契約していたこともある」と。杜撰というか、やりっぱなしのツケは必ず命取りになる。東正信氏は大牟田市出身。「福岡で勝負する以上、一番の建設業者になる」と公言していたのである。「100億企業のトップテープ」を切ったから思い残すことは無いだろう。
しかし、悔いが残る1点がある。最終的にはメインの住友銀行(現三井住友銀行)の悪知恵に従って第二会社・東建設を立ち上げたが、97年10月に倒産した。後味が悪かったのは下記のことだ。第二会社・東建設には長男・峰正氏を社長に就任させた。だが結局、峰正氏の名前で倒産させたことである。『男のなかの男』正信氏にしてみれば自分が被るべき責任を長男に押しつけた結果になったことには苦渋の思いであっただろう。
後継者育成には失敗したが、社員人材の育成では社会貢献している。倒産後、OB達の多くが独立して成功していることはあまり周知されていない。その一人のOBが「東建設時代には土地の仕込みから工事の引き渡しまで任された。この経験が事業立ち上げ・経営に非常に役に立った。事業もまずまずで正信社長には感謝している」と語る。恐らく福岡では東建設OBで事業を起こして成功している数は、他ゼネコンと比較して断トツに多かろう。
高木哲夫氏、辛酸を舐める
高木工務店(中央区)のスタートは大正時代にさかのぼる。業歴を考えても辻組を追いかける2番手グループの位置にあった。昭和の終わり、1980年代からマンション受注に注力してきた。確かにマンション受注への過度な依存が倒産の原因と指摘されるが、別の見方として高木一族が会社を食い物にした結果という説もある。高木哲夫氏が3代目として社長に就任したが、哲夫社長の周りにはオジサン取締役が沢山いた。
不動産会社=デベとして「サンシティ」という会社を立ち上げた。最終的には、この会社の社長の放漫経営のツケを高木工務店に廻して、その負担の重圧に耐えられずに倒産したのである。この会社の社長であった人物は性根が悪人であったかもしれないが、高木一族が会社を食い物にしているのを目撃してその真似をしたのだ、という指摘もある。3代目社長・高木哲夫氏はオジサンたちの尻拭いに苦労した。辻長光4代目社長とは別次元での辛酸を舐めた。福銀が支援したものの(シリーズ(9)で触れる)、03年6月に潰れた。高木哲夫氏の場合、一族長男として無理に事業継承させられた被害者の例であろう。一族から食い物にされたからだ。
何も学んでいない・他人さまの不幸
1953年設立された橋詰工務店(城南区)は異色の存在である。筆者は橋詰和元氏の実直さには尊敬してきた。県会議員活動も行ったが、決して自社の都合で立ち振る舞うこともなかった潔癖さは持っていた。人柄を表現すれば無骨=古武士と言えるであろう。最終的には会社は03年5月に行き詰った。同社の場合、「しっかりした後継者を育成していれば事業継承は可能であった」と、今でも判断している。橋詰氏がすべて自分でやらないと気が済まない性分だったことも、行き詰る原因になったのではないかと考える。
大祥建設(中央区)・吉村家は昔の三潴郡城島町から福岡へ駒を進めた経緯がある。3代目吉村丘氏は演劇の道を断念させられて事業を継いだ。対馬などに強力な拠点を持ちながらあえなく潰れたのはマンション工事での不良債権の続出があったからである。倒産の最大の原因は吉村丘氏の優柔不断さにあったとみる。
財務力ダントツの善工務店(中央区)の廃業には驚いた。10年のことだ。廃業前でも自己資本率が50%あった。官公庁工事で資産を積み上げてきたのである。1993年頃からマンション受注に乗り出すが、厳しい民間工事には対応が鈍かった。結果は下記の法則通りになった。『成り上がり者と付き合って資産を目減りさせた』のである。その他の理由としては最後の社長であった善高志氏の財テク失敗があげられる。兄弟喧嘩も生じた。弟は現在、設計事務所を営んでいる。善氏兄弟の子供までは食べられる資産はしこたま残しているようだ。
ゼネコンの倒産は無数ある。今回は九州建設にとって、同じ福岡建設協力会の仲間たちの不幸=倒産・廃業の実例をレポートしてきた。まとめながら九州建設経営陣は「近隣付合い(福岡建設協力会)している仲間たちの不幸をまったく研究していないな」という確信を抱いたのである。
(つづく)
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