溶けて溶けてどこへ行くの? 我々には覚悟はあるか~九州建設まで溶けるの、溶けないの(7)
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新卒、憧れの辻組
建築志望の新卒が語る辻組に関しては、一言で言えば『憧れの辻組』であった。
1952(昭和27)年、長崎にある工業高校建築科を卒業したA男は、辻組の就職試験を受けたが、見事に落選した。当時、長崎において同社はキリスト教の教会や学校などの工事を受注していた。長崎地区おいては辻組と松尾建設(佐賀本社)の活躍が際立っており、長崎地元のゼネコンはまだ力をつけていなかった。辻組は52年当時には、もう長崎地区に営業拠点を確立していたことを知るにつけても、辻組の当時の底力には感服する。76(昭和51)年卒のB男は九大卒。この年には大手ゼネコンは求人を控えていた。73年、74年のオイルショックの反動で、採用手控えとなったのである。九大卒といえども、同期で大手へ就職できたのは数少なかったそうだ。B男は縁があって福岡に進学したから、「大手が駄目ならば福岡にはないか!!」と求職活動した。その結果、「自分の就職該当先は辻組1社しかなかった」という結論に至った。結局、B男は自分の出身地の建設会社へ就職したのである。現在の九州建設社長・得丸正英氏は75年に入社している。同社のピークの時期を経験しているのだ。もちろん、同氏も辻組とのために全力投入した。長英氏の片腕として貢献したから辻家以外からの初代社長になれたのだ。
52年、県外の長崎において工業高校・建築科の新卒から憧れの的となっていた。24年後の76年、九大卒の建築志望の新卒からも「福岡地元では就職先としての候補は辻組しかない」と評価を得ていた辻組のブランド力は、たいしたものである。福岡地区だけでなく、北部九州地区に絶大なる営業拠点を確立していた辻組が絶頂を誇っていた時期に、長英氏が3代目として陣頭指揮を執っていたのであった。普通ならば、『3代目で身上を潰す』という例えがあるが、長英氏は違っていた。辣腕3代目であったのだ。ただし、4代目の育成には失敗した。だからこそ、己の責任として東奔西走して解決の糸口(M&A先)をつけたのであろう。ここが、東正信氏とは大違いである。
九州建設は生きながらえて、高松組は死す
リーマン・ショックの前後、九州建設・辻長光社長と高松組・高松宏社長は1週間に1回、銀行に受注・資金繰りの説明に通うことになった。
高松宏社長は「長光社長がうらやましい。あれが九州建設の信用なのであろう。現状を説明するだけで、銀行側は納得してすぐに放免される。こちらは長々と絞られる。高松組の信用の薄さが嫌というほどわかった」と悔やみながら語っていたことを記憶している。長光4代目にしてみれば、人生43歳にして他人様に頭を下げて釈明することは、初めての経験であったのであろう。
「社長業というものは、土砂降りのなかでは土下座をしなければならないのか!!難儀なものだ」と悟った。誰が判断しても「ユニカの焦げ付き発生から再生に漕ぎつけるまでには長い時間がかかる」という認識に至る。「果たして長光社長が辛抱できるか!!」という疑念を抱くのであろう。
他人様が気づくことぐらい、3代目として辣腕ぶりを発揮してきた長英氏は的確に問題解決の本質を掴んでいた。加えること、「自分には後継者を選んだ責任がある。会社に利害関係ある方々、全員に迷惑をかけてはいけない」という責任感が沸々と湧いてきたはずである。長英氏がボンボン3代目では、責任回避していたであろうが――。大濠を守り、会社存続を図る策とは
福銀としても絶対に「高松組を助けられず、九州建設も潰した」という最悪の事態は食い止めたかった。せめてもの救いは、高松組と比較すると九州建設・辻一族には、裏付け資産があったことだ。さらに長英氏が、率直に腹を割った相談を行ってくれたことだ。こうなれば福銀側としても「九州建設を助ける大義を貫こう」ということになる。昔ならば銀行の役目は終了であるが、「あわよくばM&Aビジネスチャンスもあるかな」と秘策を求めた(詳しくは、シリーズ9で)。
先ほど登場してもらったA男は、最終的には福岡で建設業のオーナーになった。彼も事業継承の幾多の辛酸を舐めている。生え抜き社員の社長抜擢への失敗の苦労もした。事業転換にも着手したが、スムーズには捗らない。理念実現に突進したが、現実は厳しい。それでも無借金経営で、企業土台が揺らぐことはなかった。紆余曲折して実子に事業バトンタッチすることに成功した。現在、安定した経営内容を誇っている。
このA男の見立てを要約すると「長英さんの頭には、(1)大濠を守ること、(2)会社を存続させることであった」となる。(1)大濠を守るという意味は、今住んでいる自宅を守る=辻家の財産を守るという意味である。(2)会社を存続させるには、辻家では不可能だ。生え抜き(長英社長時代のブレーン)の得丸社長の実力に関しては、充分に承知している。だが、69歳という年齢で、先行きの時間はわずかしか残されていない。
長期的な視点で考えると、「会社存続させるには他人資本を入れるしかない(M&A)」と決断するのは自然の流れ。(1)そうなれば株が現金に化けてキャッシュインとなれば、辻家一党は一安心。(2)強力な企業の傘下に入れば、社員たちも心が和むであろう。社員たちの雇用も守れる。
(1)と(2)を一挙に解決させた長英氏の手腕は、流石であるとなる。だが、世間というか同業界では、他の意見も沸騰しているので紹介する。(つづく)
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