溶けて溶けてどこへ行くの? 我々には覚悟はあるか(10)~秀吉は溶けて跡形もない 千利休完全に跡形残る
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大徳寺の歴史
京都市北区柴野に大徳寺がある。この寺は臨済宗大徳寺派の総本山として1315年に創立されている。この一門は全国に末寺さんを構えており、福岡周辺では那珂川町にある。この総本山大徳寺には国宝級、重要文化財がゴロゴロ転がっている。山門(三門)も重要文化財の一つとして有名だ。この寺には文化庁からの補助金がつけられており、資金は潤沢である。そのせいなのか、一般の観覧は許されていない。その非公開を原則の格子戸をこじ開けて中を覗いた。その過程で一番感激した、聚光院周りのありさまを報告しよう。
大徳寺の敷地内には24の塔頭がある。分かりやすくいえば小さなお寺が24あるということだ。大徳寺の敷地内に、各大名がこぞって恩人・家族を供養するために塔頭を建立したのである。調べてみるとこの塔頭の数が増えたのは1500年から1600年くらいであることが判明した。ということはこの期間が大徳寺の権勢のピークであったのであろう。当時の権力者たちが身内を供養する場所として大徳寺敷地内に塔頭を建立するのが流行りにでもなったのだろうか。聚光院も、この塔頭のひとつである。
宿敵・石田三成と千利休の墓が間近にある
黒田官兵衛=如水ファンならご存知であろう、この大徳寺内には、官兵衛の妻女と息子の長政が祀られている。他に有名なところでは、豊臣秀吉の弟・豊臣秀長もこの一角に墓地がある。織田信長も父・信秀のために塔頭を建立した。大友宗麟も大友家創業者を祀っている。柳川藩の始祖・立花宗茂、山中鹿之助と戦国時代後半に名を轟かせた著名人の名前に枚挙の暇がない。いわば大徳寺は高野山の出張所として一役買っていたのである。
この塔頭廻りをしないと気付かないが、石田三成と千利休とが400メートルの距離内で祀ってあることを知った。承知の通り三成は千利休を切腹に追いやった殺人事件で、参謀役を担った。三成の跡形は三玄院に残されてあるが、訪れる人影は一かけらもない。千利休の墓には来客者の数が数えきれないほど、多いようだ。この一点を見ても秀吉の腹心・三成を振り向く物好きな者は皆無であることがわかるが、千利休を惜しむ人たちは現世でも無限だ。それは千利休が日本に茶道という伝統文化を伝え繁栄させたからである。
千住博の襖絵の前に15分間、座り込む
聚光院を建立したのは三好義継である。四国から京都へ成り上がってきた義継が父長慶の菩提を弔うために1566年、建立したのである。この院の開祖笑嶺和尚の俗弟子として千利休がいた。だからこの聚光院と縁があり墓が祀られたのである(あとで触れる)。この院で特に有名なのが襖絵。狩野永徳の作がある。写真を参照されたし。驚異的なのは今日まで450年経過しても、永徳の襖絵には一度も手を加えられていないそのままの状態で保存されているということだ。保存できた理由は墨一本の作品であるかという。墨は永遠に剥げ落ちない、変化をしない習性を持っている。この襖絵に色彩を使っていたならば、剥げ落ちて跡形もなくなるそうだ。永徳作の残存している襖絵は珍しいとか。
いやー痺れた。千住博の襖絵に正面から対座したときである。一面、群青で描かれた空に向かい合ってノックアウト状態となった。ピュアな群青色が人様にこれだけ圧倒させるパワーで襲ってくるとは知らなんだ。日常生活での嫌らしい、邪な感情をすべて見透かされてへたり込んだのである。15分間動けなかった。永徳の襖絵は永遠の価値を持続できるものだ。千寿博の群青色を嗅ぎ分けられるのは現代人の感性でしか理解は無理であろう。
千住博の画家作品歴を調べた。1997年から大徳寺・聚光院の襖絵制作に取り組む。完成に2年を要した。余勢を駆って聚光院伊東別院にも襖絵を納めた。この二作品によって千住博の日本画家としての権威が固まったと評されている。この襖絵の大作は普通、お蔵で保存されているそうだ。4月5日にたまたま解禁され、襖としてセットされていた。最近では珍しい強運を頂いた!!まさしくラッキーなり。
加えること二つ目のラッキーはこの院にある名勝庭園=方丈庭園を一目見たことである。説明は省略。筆者のカメラ(?)によって鑑賞されたし(写真添付)。すべて茶道の歴史がわかった
さて最後のクライマックス・千利休の墓に佇んだ。千利休居士墓には妻も眠っている。この墓の前後には孫から代々の子孫の供養が供養されてきた。そして利休一族が三千家(表千家、裏千家、武者小路千家)に別れたことを知った。現在まで営々と続く茶道流儀の三千家の源流が、ここの墓からスタートしたのである。現在のも毎月28日には三千家が交替で利休忌法要が営まれているのだ。この千利休居士墓が三千家のメッカなのである。
ある茶道を25年嗜んでいる、親しい経営者に電話した。「いまから聚光院に入るよ!!千利休の墓にも参拝する。また茶室も覗くようになっている」と。そうするといつも温厚な友人が激怒の声をあげた。「茶の一つもわからない奴が行くところではない」と罵倒するのだ。ふと悟った。「そうか……三千家の茶道を極める人たちにとって、聚光院は聖域なのだ。素人が立ち入りするところではない」と深く反省した。
結論。千利休は茶道に従事する人にとって神様の存在である。豊臣秀吉を有り難く信じる日本人は誰一人としてしない。秀吉の存在は溶けて溶けて、忘れられて忘れられて跡形もなくなっているのだ。
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