【コロナ禍で鍛錬、再武装(4)】新時代への挑戦により、コロナ禍の赤字一掃のメドを立てる
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セイワパーク(株)
駐車場経営・管理業者がひしめいている。その大半は地主オーナー、不動産管理業者だ。そのなかで際立った存在なのがセイワパーク(株)であろう。創業者の清家謙次氏の事業に対するバランス感覚が同社をここまで発展させた。同氏は長期的な視野で事業承継に備えた。そして2代目を承継した清家政彦氏もコロナ禍で揺るがない安定した企業づくりを行っている。
先代清家謙次氏の強みはバランス感覚の卓越さ
駐車場の施工請負から、施工・販売(駐車場のデベロッパー)、自社管理、管理請負まで、事業を一貫して実施している企業は同社以外にない。まさに福岡の駐車場業界のリーディングカンパニーだ。
同社をそうした存在へと育てたのは、創業者の事業に対する卓越したバランス感覚のなせる業であるというのが筆者の結論である。同社(当時は清和機器(株))がスタートしたのは1978年2月、44年の歴史がある。謙次氏は商社の(株)山善出身で、独立までに厳しくビジネス手法を叩きこまれていた。当時筆者が務めていた企業の支社長が謙次氏と懇意にしており、設立当時から鞄持ちで同行していた。そのときのつながりから、同氏のバランス感覚の卓越さを学んだ。設立2年後に謙次氏からライオンズクラブに勧誘を受けたときには、入会を即断した記憶がある。
謙次氏の鉄則は「敵をつくらないこと」である。金融機関との付き合いには非常に神経を配っていた。金融機関からの出向者および再就職者を常に専務格で迎えてきた。この銀行OBの幹部への登用は同社にとって大きなプラスとなった。「目立たず、しかし付き合いの忠義心は貫く」ことに徹しつつ、各界の経営者との交流を積極的に行っていた。
業界ベンチャーとしてのリスクヘッジとやりがい
“福岡の駐車場業界のリーディングカンパニー”としての宿命は、自らビジネスモデルを確立することである。90年までは暗中模索であり、売上の大半はマンションに付随する駐車場の建設受注で占められていた。しかし、得意先の業界ではバブルが弾け、信用不安説が流れていた。謙次氏は「これでは我が社も巻き込まれてしまう」と危機感を抱き、マンション請負から撤退し、新しい受注形態の構築へと方向転換を図った。
“リスクヘッジ”を唱えながら“決断即実行”に踏み出した。地主と直接交渉し駐車場を建設、それを皮切りにメンテナンス管理、トータル管理物件の増加と、打つ手が面白いように次から次へと成功していった。さらに大分・鹿児島・久留米の3市の繁華街で自社の駐車場を入手するチャンスが転がってきた。“業界のベンチャー”としての特権を短期間で如何なく発揮できたのである。ここに同社の事業基盤が完成したと評価できよう。
2代目への継承も順調
謙次氏は「事業継承の時期がやってきた」と判断し、動きをさらに加速させ、2008年に長男・政彦氏に事業を継承した。2代目の社長に就任した政彦氏も山善での勤務経験があり、同社で鍛えられていた。筆者は1,000社単位の企業の事業継承のケースを目撃してきたが、そのなかでも創業者としての謙次氏の事業継承策については、長期的な視野で準備されており、抜かりなく行われたと評価できる。
政彦氏は社長就任後、組織改編を行った。従来、1989年に清和機器から商号を変更していたセイワシステム(株)が親会社としての役割をはたし、(有)清和エンジニアリング(89年設立)がメンテナンス業務、セイワパークマネジメント(株)(99年設立)が駐車場経営・管理・運営業務を行っていたが、設立35周年の2013年4月に3社を統合してセイワパーク(株)を設立した。
政彦氏に対しても、2代目としてかなり高い合格点を付けて間違いない。コロナ禍で22年3月期の決算では大幅な赤字を計上、最終赤字は3億円台に達し対売上高で10%を超えるものの、経営が不安定になる余地は皆無といえるからだ。2代目として10年以上におよび采配してきた結果、「安定した企業づくりに成功していた」と評価できる。
<COMPANY INFORMATION>
代 表:清家 政彦
所在地:福岡市博多区東比恵2-1-3
設 立:1978年2月
資本金:5,000万円
売上高:(22/3)27億5,286万円
URL:https://www.seiwapark.co.jp/法人名
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