2024年11月22日( 金 )

鈴木宗男を擁護する

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金堀 豊(作家)

北海道 神居古潭 イメージ    地方自治ということがいわれる。日本のような中央集権国家に地方自治はあるのか、そう問いたくもなるが、それでも国の運営は画一的・均一的になってはいけないとされており、地方の実情や住民の要望をより良く反映させるべく、すべて同一に運営することは避けるべきとされている。地方の運営に当たっては、地方の独自性を考慮する必要があるというのだ。

 これが民主主義・自由主義の大原則なのだそうで、聞こえはいいが、所詮、すべては金の問題ではないかという気がしないでもない。地方が国より金をもっている場合は別として、地方が財政的に国に依存している限り、自治といっても括弧付きの自治であり、程度は知れている。

 たとえば佐賀県に名護屋城博物館というのがあり、これは豊臣秀吉の朝鮮出兵の拠点が現在の唐津市鎮西町の名護屋城にあったことからつくられた。この博物館開設の計画を聞いた外務省の役人は、これを秀吉の出兵を褒め称えるものと判断し、日韓関係にとって危険なものと見て、難色を示したという。

 一方、唐津市と佐賀県はそれには頓着せず、どうせなら日韓両国の親善に役立てようと両国の歴史学者を招いて協議し、善隣外交の拠点として博物館を構築した。そのとき地元の人は、「東京の役人なんかに私たちの草の根外交などわかるものか」と胸を張ったという。

 私自身はこれを地方の快挙として喜んだが、東京からきた某大学の先生を案内すると、案外に不満だったようで、「随分、韓国に気を遣ってますね」と冷たく言った。「気を遣っている」という言い方しかできないところに、地方文化に対する認識の欠如が感じられた。地元の人がこれを聞いたら、「冗談じゃない、こっちは海を隔てた向こうと一緒に仕事しているんだ」と言っただろう。

 日本は単一民族国家というのは大嘘で、在日やアイヌや沖縄だけでなく、各地方に独自の歴史的背景と地政学があるのだから、実は多様で複雑な国家である。中央政府にはそこが理解できないらしく、沖縄などはその被害を最も多く被っている。沖縄県民がいくら抗議しても、その声は彼らに届かない。

 ここで話題にする北海道の政治家・鈴木宗男は、中央の地方に対するそうした無理解の犠牲者の1人といえるだろう。鈴木のこれまでの足跡はウィキペディアなどで見ることができるので、最近の話題に絞って話を進めたい。すなわち、ウクライナ戦争に関する彼の一連の発言についてである。

 彼の言わんとするところを要約すれば、ウクライナ戦争については西側のメディアだけを信じてはいけないということになる。なにもロシアの肩をもっているのではない。日本のメディアの在り方、それについての国民の受け止め方に警告を発しているのである。

 ところが、そういう彼の発言が非難され、ロシアに身を売った裏切り者だなどといわれる。短絡的な非難だが、それが案外に通用するところに不安がある。日本はこういうことで大丈夫なのか、と。

 鈴木の発言を理解するには、彼が北海道の人であることを理解する必要がある。彼の実利主義は悪くいわれるが、彼にすれば、北方領土問題の解決は不可能に近いのだから、理念を追わずに、北海道とロシアが共に利益を得られる道を探るべきなのである。そうしたことを公の場で憚りなく発言するものだから、彼は「国賊」呼ばわりされる。しかし、彼にすれば、北海道の保全と繁栄を願うがゆえの発言なのである。

 自分の国がもっとよくなってほしいと願う気持ちのどこが「国賊」か。「日本はすばらしい」という言葉で気が済むのなら、あまりにも幼稚な心性ではないだろうか。鈴木の発言を否定して、彼を「国賊」扱いする愚行こそ、国を害するものなのである。

 鈴木のウクライナ問題に関する一連の発言は、彼のバランス感覚の良さを示す。西側のメディアは一方的にロシアが悪く、ウクライナは気の毒だと喧伝するが、ウクライナ側がこれを利用し、西側の援助を受けてロシアに防戦していることを見落としてはならない。日本は世界の実情を独自の視点で分析する必要があるのに、それをしていない。そのことを鈴木は遺憾に思っているのである。
 北海道はアイヌの土地であった。「もはやアイヌなど存在しない」と思っている人もいるようだが、彼らの子孫は私たちのあいだに無言で存在している。北海道に生まれ育った鈴木には、その辺のところがよくわかっているはずだ。

 日本が連合軍に敗れた際に、日本に帰属するよりはソ連に帰属したいと願ったアイヌ人もいたことを、私たちはもっと知るべきである。北海道は「北の大地」などとロマンを馳せる場ではなく、ロシアとヤマトの中間にある地政学的に微妙な土地だと知るべきだ。

 「地方自治」というものが存在するなら、沖縄だけでなく、この北海道にもっと注目すべきである。北海道をヤマトの植民地と見るかぎり、私たちはこの土地を見誤り、鈴木の声も聞き取れないであろう。

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