2024年12月23日( 月 )

安倍元首相ドキュメンタリー映画『妖怪の孫』、監督が制作秘話など語る(前)

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 3月17日に新宿ピカデリーなどで全国公開される映画『妖怪の孫』(内山雄人監督)の先行上映会が2月23日に東京都内で開催された。A級戦犯容疑者(後に不起訴)となりながら首相の座にまで上り詰めた“昭和の妖怪”こと岸信介・元首相と、その孫の安倍晋三・元首相に斬り込むドキュメンタリー映画。上映会後には、企画プロデューサーを務めた元経産官僚の古賀茂明氏、東京新聞の望月衣塑子記者と内山監督が対談、亡くなった映画プロデューサー・河村光庸氏の思いを受け継いで完成に至った制作秘話をはじめ、銃撃事件後も続く“アベ政治”などについて語り合った。

    古賀茂明氏(以下、古賀氏) 河村さんは「安倍さんの話をやりたい」というふうにずっと言っていました。河村さんから電話がかかってくると話が長くて、一回かかってきたら最低一時間。食事の前だと出るのをやめようかなというくらい。

 河村さんは「タイトルは妖怪の孫」と決めていました。ずっと、ああした方がいい、こうした方がいいという話をしていたのですが、ある日、電話がかかってきて、「これをやらないと死んでも死にきれないから」という話をしながら、(電話が)20分で終わってしまったのです。ずいぶん早いなと思ったら、次の日に亡くなってしまった。

 多分、相当体調が悪かったのだと思うのですけれども、亡くなったという話を聞いた瞬間、河村さんの遺言を聞いた感じがして、これは絶対にやらないといけないと思いました。一方で、河村さんがいなくなったらできるのかなと思っていたところ、内山さんから「これはやらないといけない」という話が来ました。内山さんからは「ちょっと手伝ってよ、古賀さん。因縁があるでしょう」と言われたこともあり、お手伝いさせていただきました。

 司会者 『パンケーキを毒見する』を撮られていた時も菅さんを撮りながらその先に(本丸の安倍さんがいたのですか)。

内山氏(左)と古賀氏
内山氏(左)と古賀氏

 内山雄人監督(以下、内山氏) 菅さんがもともと官房長官をしていて、菅さんの背景に安倍さんがやってきたことがベースにありますから、結局、国の舵取りの大きな軸は安倍さんから始まっていると思うので。どういったって安倍さんの話だよね、というのはずっと頭のなかにありました。あのときは「菅さんを丸裸にしようよ」という話だったので菅さんをやりましたが、とにかく安倍さんをやりましょうと。とにかく河村さんは「妖怪の孫」というタイトルにずっとこだわっていました。個人的には「妖怪の孫」と言われても──。僕も岸さんの特番をやったことがあったので、岸さんのことは知ってはいたのですが、「今頃、岸さんと言われても誰も知らないよな」と思いながら、まあ、追々、話を変えていけばいいと思っていた。それぐらいのつもりでいたのです。

 その後、あの事件が起きた。ちょうど山口を取材していたときに、本編にもありましたが、13日後に安倍さんが亡くなった。河村さんが亡くなったことで、ただでさえ映画自体がぐらつきかかったところに安倍さんが亡くなったことで一気に空気も、「これはちょっと、安倍さんをいじったり、揶揄したりする映画は無理なのではないか」という雰囲気になった。一気にトーンダウンですよね。古賀さんにも「もう無理かもね」と(言った)。

 古賀氏 安倍さんが亡くなった後すぐ「安倍さんが亡くなったからと言って、安倍さんのことを語るのを止めるのは止めよう。やはりちゃんと検証しないといけない」とツイートしたのですが、やはり世の中では亡くなった人の悪口をいうのは、「死者に鞭打つ」というような雰囲気がものすごく強くて、内山さんもいろいろな方に声をかけて出演依頼するのだけれども、ことごとく断られるのです。
 与党の議員だったら分かりますが、野党の議員でもみんな嫌がるのです。思いっきり攻撃していたような人でも、政策の批判であったとしてもやりにくいということを言われました。映像で国会での審議とかは使いましたけれども、中途半端になるのだったら、政治家の先生に無理して登場してもらう必要はないなというふうに思いました。

 内山氏 そうですね。何しろ、配給のK社というところが河村さんの段階からふらふらし出して、「ちょっとダメ」と。とうとう安倍さんの事件が起きて「完全になしよ」という話になった。ところが、いわゆる統一教会問題が出始めて急に風向きが変わったのです。そうすると、K社のトップのほうが、「内山さん、これはやるべきだ」と急に言い出した。トップダウンで動く会社ですから、一気にやるということになったのです。

 ところがK社の会長がいわゆるオリンピック(汚職事件)関係で急にいなくなったこともあり、この話は収束してしまった。ただ嬉しかったのは新宿ピカデリーの方が「是非、これはやりたい」とその前から言ってくれて、頑張ってくれたことで、やれそうな空気になった。

 同時に、この映画をもう一回やらないといけない。安倍さんを検証しないといけない。とくに統一教会の問題が盛り上げって来ましたから、「やらないといけない」という空気があって、最終的にここに辿り着けました。

(つづく)

【ジャーナリスト/横田 一】

(中)

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