2024年11月22日( 金 )

セブン&アイのお家騒動 世襲と決別したライフコーポ(中)

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 創業家回帰と世襲──。経営者にとって永遠のテーマだ。総合スーパーのイトーヨーカ堂を創業した、セブン&アイ・ホールディングスの伊藤雅俊名誉会長が3月10日に死去した。98歳だった。伊藤氏と、ダイエー創業者・中内功氏(2005年9月19日、83歳で没)、イオングループの創業者・岡田卓也氏(97歳)、ライフコーポレーションの創業者・清水信次氏(2022年10月25日、96歳で没)は、戦後の流通革命を主導してきた第一世代だ。

 伊藤氏、清水氏、岡田氏は同世代なので「3人会」をつくり、年に数回会っていた仲だったという。ライフコーポレーションの清水氏とイトーヨーカ堂の伊藤氏が相次いで他界した。世襲についての考え方は、伊藤氏と清水氏では正反対だった。

世襲は鈴木会長の焦りか

ネット通販 イメージ    鈴木敏文氏は「ネットを制するものがリアルを制する」が持論で、インターネット通販と実店舗を融合させるオムニチャネル戦略を推進する。オムニチャネルとは、スマートフォン(スマホ)の普及を背景に、ネットやカタログ、実店舗などあらゆる販路を組み合わせて、いつでもどこでも買い物ができるようにすること。康弘氏が、セブングループが総力をあげて取り組むオムニチャネル戦略の総指揮官を担う。

 オムニチャネル戦略は準備に数年かけて15年秋から本格的な展開をはじめた。オムニチャネル事業は、「売り上げ1兆円」が目標だ。オムニチャネル事業で売り上げ1兆円達成を実績に、敏文氏の後継者として康弘氏を社長に昇格させるというのがシナリオと見られた。

 鈴木敏文氏が息子への世襲をはっきりさせたことで、創業家の伊藤家との衝突は避けられないとの観測が広がった。超ワンマンの鈴木氏とはいえ、創業家である伊藤家には遠慮があり、これまで康弘氏の処遇には慎重だった。ここにきて康弘氏への世襲を露骨に示したのは、80歳を超えた焦りかもしれない。

鈴木氏失脚、創業家への回帰が浮き彫りに

 1992年にイトーヨーカ堂の社長を鈴木氏に譲って以降、創業者の伊藤雅俊氏はグループの経営から一定の距離を置いてきた。セブン&アイの筆頭株主である伊藤興業は創業家の資産管理会社だ。高齢の伊藤氏と妻に代わり、資産管理会社を切り盛りする役目は、伊藤興業の取締役である長女の山本尚子氏に変わっていた。

 創業家である伊藤家にとって、鈴木家による世襲は許せるものではなかった。次男の順朗氏は人事案に反対票を投じた。それまで物言わぬ創業家だったが、最後に伝家の宝刀を抜いきカリスマ経営者、鈴木敏文氏を追放した。傑出した経営者である鈴木氏は、息子の問題で晩節を汚したかたちとなる。

 父・敏文氏が失脚したため、康弘氏は2016年12月30日にセブン&アイを去り、17年3月、ITコンサルティング会社デジタルシフトウェーブを立ち上げて社長に就いた。

 入れ替わるように、イトーヨーカ堂創業者の伊藤雅俊氏の次男、伊藤順朗氏が16年12月19日、取締役から取締役常務に昇格し、カリスマ経営者から創業家への回帰路線が浮き彫りになった。

ライフコーポの創業者・清水信次氏は、実弟を解任

 創業者にとって後継者問題は経営の最大課題である。ライフコーポレーションの創業者清水信次氏は世襲経営と決別した。

 清水氏は1982年2月、ライフ(現・ライフコーポレーション)が大証2部に上場したのを機に、実弟で自分の右腕だった清水三夫氏(1931年生まれで、現在91歳)に社長を譲り、自らは会長に就任して営業の第一線から退いた。その後、ライフは東証二部、東証一部に上場するなど順調に成長を続けた。

 だが、バブル経済の終盤にさしかかったとき、三夫氏は株式運用にのめりこみ、肝心の本業が疎かになった。当時は、日本の有名企業が財テクにのめり込んだ時代だ。これに危機感をもった清水氏は88年3月、電撃的に開いた役員会で三夫社長を解任し、自ら会長兼社長に就任した。

(つづく)

【森村 和男】

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