2024年11月25日( 月 )

百貨店解体新書(2)都心の百貨店は「商業施設」に衣替え(前)

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「米国に行はるる(米国で採用されている、という意味)デパートメント・ストアの一部を実現可致(いたすべく)候事」
 1905(明治38)年1月、三越呉服店は主要新聞に全面広告を掲載し、日本初のデパートメント・ストアを宣言した。我が国の百貨店の歴史はここから始まる。三越は近代百貨店の始祖だ。
 それから1世紀超。百貨店は落日を迎えた。百貨店の閉店が止まらない。

東急の城下町・渋谷から「東急百貨店」の屋号が消えた

東急百貨店 渋谷本店 イメージ    ことし1月31日、東急百貨店の渋谷本店(東急本店)が閉店し、55年の営業を終えた。2020年3月に渋谷駅直結の東急東横百貨店が閉店しており、これで東急の本拠地である渋谷から「東急百貨店」の屋号が消えた。老舗の撤退は旧来型の百貨店の苦戦の表れであり、電鉄系百貨店の歴史的転換を意味する。

 本店の建物は2023年春以降に解体作業が始まり、跡地にはホテルや商業施設、賃貸マンションなどが入る地上36階建ての複合ビルが2027年度に完成する予定だ。

 複合ビルの開発には、東急や東急百貨店のほか、2017年に松坂屋銀座店の跡地にオープンした東京・銀座の商業施設「GINZASIX(ギンザシックス)」の開発に参画した仏LVMHモエヘネシー・ルイヴィトングループ系の不動産投資会社、Lキャタルトン・リアル・エステートも加わる。

 松坂屋銀座店は、関東大震災の翌年、大正13(1924)年に銀座初の百貨店として開業した。銀座最古の百貨店・旧松坂屋銀座店の跡地にできたギンザシックスは、従来の百貨店業態から脱却し、賃料で稼ぐテナント型の運営に舵を切った。東急本店跡地に建てられる商業施設も、ギンザシックスのように、欧米の高級ブランドを軸にしたテナント型のラグジュアリーモールに生れ変わることになる。

電鉄系大手百貨店は“脱百貨店”に軸足を移す

 百貨店は発祥のルーツから呉服系百貨店と電鉄系百貨店とに二分される。電鉄系百貨店は鉄道会社のリテイル事業を担う一部門で、ターミナルに巨大な商業施設を構える。阪急の小林一三氏がつくり出した日本独自のビジネスモデルだ。

 昔は大型の商業施設といえば百貨店だったが、今は違う。小売業の多様化によって、商品を仕入れて売る「百貨店業態」の収益が悪化。コロナ禍によって、その脆弱さがあらわになった。テナントを集める「ショッピングセンター業態」で安定した家賃収入を得た方が得策、という気運が高まった。

 新宿駅西口の再開発にともない、小田急百貨店は昨年10月に新宿店本館を閉めた。親会社の小田急電鉄は29年に商業施設を完成させる。

 40年代の完成を目指した再開発が予定されている京王百貨店新宿店も、親会社の京王電鉄は商業施設への転換の意向を示している。東武百貨店池袋店も池袋駅西口の再開発にともなう建替え計画が発表された。電鉄系百貨店の撤退が加速する。

 西武池袋本店は、外資系投資ファンド・ヨドバシホールディングス連合への売却をめぐり、地元の豊島区、そごう・西武の労働組合や地権者である西武ホールディングスが猛反発、大混乱に陥っている。百貨店の苦境を象徴する出来事だ。

山形県と徳島県には百貨店がない

 東急百貨店本店が閉店した1月31日、立川市では立川高島S.Cの百貨店区画が営業を終えた。百貨店は1970年開店の立川高島屋を前身とする。

 北海道帯広市の老舗百貨店・藤丸が、1900(明治33)年の創業以来の123年の歴史の幕を閉じた。丸井今井が三越伊勢丹ホールディングスの傘下に入って以来、地元資本としては北海道全域で最後の百貨店だった。

 ここ数年、地方百貨店の閉店が相次ぎ、山形県と徳島県には現在、百貨店がない。福島県と滋賀県は県庁所在地に百貨店がない。百貨店といえば中心街を代表する大型店で、高級品中心の品ぞろえが特長だが、このような伝統的な百貨店は少なくなった。

 日本の商業の歴史において、百貨店は中心街の「顔」だった。百貨店の閉店は街の顔がなくなったほどの衝撃がある。「百貨店」という言葉それ自体、昭和の御代とともに去りゆき、ほどなく代名詞となり死語になるのだろう。

(つづく)

【森村 和男】

(後)

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