百貨店解体新書(3)フィクサーから1億円の指輪を受け取ったそごう水島氏(後)
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セブン&アイ・ホールディングスの百貨店子会社、そごう・西武を米投資ファンドに売却する案件は、反対論が噴出し停滞している。
そごう・西武の前身である「そごう百貨店」と「西武百貨店」は、かつて百貨店売上高日本一に輝いた栄光の時季がある。改めて、両社の事件簿をひもといてみよう。児玉から贈られた20カラットのダイヤモンド
1973(昭和48)年4月、児玉誉士夫、そごう社長・水島廣雄の立会いのもと、三光汽船社長・河本敏夫とジャパンライン社長・土屋研一が印を捺した和解の協定書が作成された。1億4,000万株、総額約500億円がジャパンライン側から三光汽船側に支払われた。これで三光汽船によるジャパンライン株買い占め事件は決着した。
児玉への謝礼について、「感謝状と御歳暮」を贈っただけというのが、会社の公式発表であった。そんなウソはすぐにばれる。ロッキード事件で、児玉の金脈がさらけ出されてしまったからだ。
ジャパンラインから児玉への謝礼は、現金1億100万円に400万円相当の純金の茶釜と1,600万円相当の東山魁夷の絵画「緑汀」だった。解決依頼したとき、着手金を別に1億円支払ったから現金は2億100万円になる。
このときの謝礼として、20カラット、時価1億円のダイヤモンドの指輪が、児玉から水島に贈られた。このダイヤは最高級のブルーダイヤモンドだった、1億円のダイヤというのは、73年当時の大卒の初任給に当てはめて単純計算すると、およそ2,000人分の初任給に相当する。
買い占め劇では、表世界や裏世界のフィクサーが登場し、それぞれフィクサー料をふところに入れた。ロッキード事件が発覚しなければ、これらのことは闇のなかに隠されたままであったろう。
このダイヤモンドには後日談がある。水島は、このダイヤを所得として申告せず、国税局から追徴処分を受けた。やむなくダイヤを国税局に物納した。オークションにかけられ、都内の宝石商が落札した。この伝説のダイヤモンドはあまりに粒が大きかったため、国内では買い手がつかず、海外で処分されたという。
横浜そごうは、水島の最大にして最高の成功だった
1985(昭和60)年9月30日、横浜そごうがオープンした。売り場面積6万8,413m2。世界最大規模を誇る。初日の来店者数は53万人、売上は20億円と、百貨店史上に残る記録ずくめとなった。
巨艦店・横浜そごうは、横浜の商業地図を塗り替えた。横浜の繁華街の中心は伊勢佐木町から、JR横浜駅をはさんだ東口と西口に移った。西口にあった三越横浜店は、横浜そごうの逆風に煽られ、撤退を余儀なくされた。
横浜そごうは、水島にとって最大にして最高の成功だった。
水島は政官財、法曹界の人脈を駆使し、自治体による再開発誘致企業として、中堅百貨店のそごうを全国に30店運営する日本最大の百貨店グループに育てた。バブル崩壊後は、乱脈経営で経営が悪化。2000年7月、当時では過去最大の1兆8,700億円の負債を抱え、民亊再生法を申請。銀行が申し立てた差し押さえを逃れるため、自分名義の預金を引き出そうとしたとして、強制執行妨害罪に問われ、06年に有罪が確定した。
日本最大の百貨店をつくって「デパート王」として名を馳せた、そごう元会長の水島廣雄は2014年7月28日、東京都内の病院で心不全のため102歳の生涯を終えた。日本の戦後経済の光と影を映し出した怪物経営者だった。
(了)
【森村 和男】
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